おことわり

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2013年6月29日土曜日

ある愛の詩/誰がために鐘は鳴る(70年代R)

変形二つ折りで左が初公開(1971.3)、右がリバイバル(1976.5)
表だけだと製作・配給会社名以外の違いしかありませんが、
裏面の解説は異なっており、なにより主演のアリ・マッグローの
プロフィールで、伴侶がロバート・エバンス(「くたばれl!ハリウッド」)
からマックィーンに変わっているところが少々意地悪なお楽しみ。
チラシ大全集の揚げ足取り(?)をもう少し。

「以前から怪しいと思っていました。」とか書くと、「お前は佐藤藍子かっ」と突っ込まれそう(←今どきそれはないか)ですが、kussyさんの掲示板でチョコさんが「ある愛の詩」を投稿されたのをきっかけに調べてみたところ、大全集の71年にあるチラシは76年のリバイバル時のものと判明。

決め手はCICのマーク。「シェーン」でも書きましたとおり、日本でCICが発足したのが、1970年7月。

CICのマークが新聞広告に登場するのが「ロンメル軍団を叩け」(1971年6月公開。チラシはマークなし)あたりからで、その間の「1000日のアン」「真昼の死闘」「お前と俺」「地球爆破作戦」等々と同様、「ある愛の詩」(1971年3月公開)の初版チラシにマークはありえない、ということになります。

というか、「ある愛の詩」初公開版は、CICはおろかパラマウントの名前すらないんですね。翌年のアンコール公開も丸の内ピカデリー版(1971年9月)はCICとパラの名前が劇場名の刷り込み欄にの片隅にあるのですが、2ヵ月後のムーブオーバーの新宿ロマン劇場(当時はST系)版では記載なし。いい加減なものです。
上が1971.1.15、下が1976.3.13公開。

いい加減、ということではないのですが、これで思い出したのが、「誰がために鐘は鳴る」(元々は”為”ですがこの時は”ため”)の71年1月のリバイバル。

この作品、パラマウントの製作ですが、1958年にTV放映にからんで版権が当時ユニヴァーサルの親会社だったMCAに売却されています。そのせいか、このチラシにはパラマウントとCICに並んで「MCAレコード」というクレジットが入っています。入手した当初はサントラ盤の表示だと思っていたのですが、記憶が確かであれば、この映画の当時のサントラ的音源は、作曲担当のヴィクター・ヤング自身の楽団による演奏もののみで、シングルカットもなかったはず。権利者としての表記なのかなぁ、ちょっと謎です。ご存知の方いらっしゃいませんか。

さすがにややこしいと思ったのか、5年後のリバイバルではCIC配給のみが表記され、パラマウントもMCAも出てきません。こういうのを見ると、映画は作品であると同時に商品なのだなぁ…と思ってしまいます。

ということで、開業当初のバタバタの痕跡が残っているCICさんですが、後々には「ロミオとジュリエット」(画像はこちら)のように、マークの位置もきちっと修正するようになっていくわけで、社内でもいろいろとやりあっていたのでしょうね。

2013年6月22日土曜日

風と共に去りぬ/王様と私(阪急プラザ劇場版)

「頭上の敵機」のエントリーの続き。
館名ハイ&ロー。裏は同じで、
裁断ミスではありません。
kussyさんの掲示板にもお詫びがてら投稿したのだけれど、「マイ・フェア・レディ」のワーナーによる最後のリバイバルもチラシ大全集は1970年の頁に載っていますが、実際に公開されたのは前年の12月。まぁ「1970年のお正月映画」だし、ネットで流通している渋谷パンテオンの上映作品リスト(おそらくさよなら興行時に出た資料からのもの)も12月公開作品が翌年扱いになっていたりするので、「こまけぇこたぁいいんだよ!」と言われりゃそれまでなんですが。

と思いつつ、めげずに本題。
風と共に去りぬ」の阪急プラザ劇場版。こちらは1972年の頁にシネラマ版(個人的にはいちばん好きなデザインであるV・リーの顔アップ)と並んで掲載されています。
で、どうも不思議に思ったのが、シネラマ版は松竹系なのにD150版は東宝系だということ。そのうちにネット時代になって、シネラマ版で松竹系の関西館名(どうとんぼり松竹座等)の画像を見かけるようになり、「西日本独占ロードショー」のうたい文句との整合性に疑念が。

ということで、GWにちょっくら図書館で当時の新聞のマイクロフィルムをガラガラ回しまくって、以前から興味のあった阪急プラザ劇場のオープン初期の上映作品をこちらにまとめてみました。

なるほど、「風」は1970年だったのね。60年代後半の東宝系のリバイバルの流れを継いだ上映だったんですな。


調べて分ったことがいくつか。「王様と私」は東京では1972年3月にテアトル銀座と新宿武蔵野館で上映されていますが、大阪ではひと足早く71年10月に上映されています。阪急プラザ版のチラシは、いかにも通常版(カラーで横)のデザインを使い回した感じがしてしまうのですが、半年も早かった…

また何度か耳にした「噂」に「阪急プラザ版の『砲艦サンパブロ』(広げるとB4横になる単色二つ折り。持っていません)が出回っているけれど、阪急プラザは『トラ・トラ・トラ!』を上映しており、時期が重なっている(1970年10月)のでアヤシイ」というのがありますが、阪急プラザの『トラ』上映は翌年9月ですので、それは誤解ですね。東京は「サンパブロ」をやらなかったし、どれも公開時期が秋に集中していたからそんな話が生まれたのかも。

余談ですが、昨年の鷹の爪団のマナーCMが「王様とたわし」だったので、今回の「午前十時の映画祭」には絶対「王様と私」が入ると思っていたのですが、入っていなくて残念。「風」や「ローマ」も好きな映画ですが、さすがに食傷気味。いろいろ指摘されている今回の「午前十時」ですが、もう少しラインナップも工夫して欲しいところじゃよ、吉田君。

2013年6月9日日曜日

シネマガイド(映画専門店)さんにリンクしました。

実家からの帰り、途中下車して西宮北口の「シネマガイド」へ。
こちらとのおつきあいはもう10年近く前。ネットの情報でお店の移転を知り、奈良から足を伸ばしてみたのがきっかけだったかな。以来、セールや懇親会等、節目節目に顔を出させていただいております。

店長さんは春先に少し体調を崩されたようで、ちょっと心配していたのですが、久々にお会いしてみると、今は元気そのものでひと安心。現在、買取りを強化すべく、画像のチラシを映画館に置いてもらうよう動いて回っているようです。置いてもらえそうな映画館がありましたら、ぜひお店にご連絡ください。

店長さんのお人柄を慕って集まる人も多く、いいお店です。電車のアクセスもいいので、関西近郊にお住まいの方はお立ち寄りいただければと思います。

なんのお役にも立てない自分ですが、とりあえずリンクをさせていただきました。店長さん、今後ともよろしくお願いします!

と、書こうと思ったのが2週間前…というくらい更新が滞っております。状況的には当面、今以上に更新は難しいかなぁ、と感じております。やはり日常を優先したいので。楽しみにして訪問していただいている方には申し訳ありませんが、ご了承願います。PC版は「更新お知らせメール」機能を追加しましたので、必要な方はお使いいただければと思います。

2013年5月13日月曜日

頭上の敵機/スパルタカス(リバイバル)

「イージー・ライダー」のエントリーで「『チラシ大全集』のリバイバル関係のデータはあてにならない」と書きましたが、これは出版当時(平成7年)の状況を考えれば無理からぬことで、Windows95がやっと出たような時代、資料の収集や確認に限界があったのは容易に想像がつきます。今なおリファレンスとして輝いている「大全集」の偉業に敬意を表しつつ、あくまで正誤表的な情報としてお読みいただければ、と。

最初に「あれ?」と思ったのは「眼下の敵」(Part1‐P.62)。未所有ですが、永年ねらっているチラシで、これは1965年11月に東急洋画部配給ででリバイバル(ミラノ=パンテオン系)された時のもの。初公開(1958年1月)はFOX配給で東京は有楽座です。大阪の南街劇場版(潜水艦を模した変形版)のチラシがオークションで人気が高いのですが、有楽座版はあるのかな。

こちらの「頭上の敵機」も同じ東急洋画部によるリバイバルで、「大全集」では1965年の頁(Part1‐P.142)に掲載されていますが、東京地区では画像にもありますが、翌年1月8日に「SOS一触即発」と二本立てで上映されたようです。同じFOX作品であるところをみると、まとめて購入・配給したんでしょうね。リバイバルは東京が先行するとは限らないので、1965年に上映されていた可能性は捨てきれないです。

こちらの「スパルタカス」も初公開の頁(Part1‐P.83)に掲載されていますが、よく見ると、ユニヴァーサル映画のマークが異なっており、初版が「総天然色」表示なのに、こちらは「テクニカラー」。裏面の文章も「2001年宇宙の旅」に触れています。

調べてみると、東京では日比谷スカラ座で1968年6月にリバイバル上映されているので、北野劇場もこの時期かと思います(正確な時期は未確認です)。ただ、自分は日比谷スカラ座版は見たことないのですが、あるんでしょうかね。

調べてみると、東京と大阪でリバイバル作品の上映時期がずれるということは、この時代あたりは案外見受けられます。その辺の話はあらためて。

2013年5月12日日曜日

2月に観た映画(メモ)

イオンシネマに置いてあったローカルアイドル
のイベントチラシ。地方のシネコンは映画を
かけている場合ではない…ということかも。
今さらではありますが、備忘録ということで。

2月は新作とは別に、イオンシネマの「なつかシネマ」に遠征。
富山に住んでいたころ、開館したての金沢のイオンで同じ名前の企画をやっていたから、定期的にやっているのかな。

オール・ザット・ジャズ」は久々の再見でしたが、やっぱり好きな映画。みゆき座の封切で観た時はもっぱら「エア・ロティカ」や「バイバイ・ライフ」といった踊りや歌に惹かれ、ストーリーやテーマはよく分らなかったのですが、齢を重ねて「死」や「病」が徐々に自分に近くなってくると、観る度に心に迫って来ますね。ラストのエセル・マーマンの「ショウほど素敵な商売はない」も同名の映画を「午前十時」で観たので、聞こえ方が少し違ったし(5人)。

招かれざる客」。冒頭、古い方のヘラルドマークが出たので、クラシックス上映をやっていた頃のフィルムなんでしょうな。ちょっと揺れあり。

もう少し人種問題に突っ込んだシリアスな作品かと思っていたのですが、ホームドラマ的な展開でやや拍子抜け。主題歌や風俗描写もベタで、この辺は「ニューシネマ以前」の限界なんでしょうね。それでも俳優陣が皆さん巧いので、それなりに楽しく観ることができました。これが遺作となったスペンサー・トレイシーですが、確かマックィーンが「シンシナティ・キッド」での共演を熱望していたはずで、エドワード・G・ロビンソンも良かったけど、こちらでも観たかったかなぁ…と思ったりしつつ(2人)。

ファイブ・イージー・ピーセス」。主題歌「スタンド・バイ・ユア・マン」は、生れて初めて買ったサントラのオムニバス盤「これがオリジナルサウンドトラックだ!」に台詞入りが収録されていて、繰り返し聞いたものです(「ブルース・ブラザース」でもカバーしてましたな。)が、あれから30余年、今回ようやく実物を映画館で。なんだ、冒頭で使ってたんだ。

それにしてもニコルソンが若いです。自分は「シャイニング」が初ニコルソンだったので、その昔、この人のアメリカでの人気の出方が「セックスアピールの魅力」云々と書かれていたのを読んで、「何で?」と思っていたのですが、初主演作がこれなら納得です。

この時代ならではのドロップ・アウトした若者を描いた作品ですが、”アウト”で外に飛び出すより、当節は”イン”で引きこもりだもんなぁ…と、思いながら70年代の風景を味わいました(2人)。

各文末のカッコ内の人数は自分を含めた観客数。個人的には古い映画をもっとスクリーンで観たいのですが、状況はキビしいです。この3本も現代の観客に響くか?といわれると、「オール~」が辛うじて、という感じだし。

でも、シネコン側の取り組み姿勢もいい加減。ロビーにはポスター等の告知類は一切なく、入口の掲示ポスターはネットからコピーしたものなのか、ドットがでかくて文字すら読めず。なんだかスーパーの一角のワゴンに置かれた見切り品、という扱いで悲しくなりました。イオンさん、ワーナー・マイカルも買ったんだからもっとしっかりしてください。

2013年5月5日日曜日

イージー・ライダー

ニュー東宝シネマ2
1972.6.10公開
ちょうど41年前の今日、1972年5月5日に「小さな恋のメロディ」で触れた、スキヤバシ映画の名称変更(ニュー東宝シネマ2)が行われました。なぜか「黄金の七人 1+6 エロチカ大作戦」の上映期間中という半端な時期に変わっています。

それで思い出したのが、「イージー・ライダー」のリバイバル上映。改称前後の2種類の館名が出ています。

「イージー・ライダー」は70年1月に有楽町スバル座で公開されましたが、スバル座版は前年12月公開の「サボテンの花」とカップリング冊子という仕様になっていて、この1枚ものは72年にデザインされたと思っていたのですが、「エデンの東」の三越版以来、いろいろ調べているうちにそうではないということを知りました。

初公開版
1970.1.24
右端のシミのような赤色は
裏面の「サボテンの花」の
イラストが映りこんだもの。
以前紹介したロードショーの付録の冊子「チラシBESTセレクション1000」に日劇文化の館名版が掲載されているのですが、これが1970年7月18日に公開された時のものでした(翌週25日に横浜東宝名画座でも公開。これも確か同デザインのチラシが出ていたはず)。

「イージー・ライダー」のスバル座公開は多くの若者を集めて半年近いロングラン、7月3日まで上映されました。日劇文化の上映は2週あけてのムーブ・オーバーだったんですね。自分は何となく日劇文化版はシネマ2の後かと勝手に思い込んでおりました。72年版をよく見れば、「あの爆音が!あのサウンドが!~」のキャッチコピーは館名の刷り色と同じな訳で、チラシにもともとあったものじゃないですね。修行が足りないなぁ、反省。

修行が足りないといえば、こちらの関西版も、チラシ大全集で1972年の頁に掲載されていたので、てっきりリバイバル版だと思っていましたが、こちらも1970年に作られていたものでした。大阪ではこの年の2月14日、梅田スカラ座と千日前スバル座が初公開でした。そういや東京では冊子版になっている「サボテンの花」も関西では1枚もので出ていましたから、理屈は合いますね。ちなみにチラシ大全集に掲載されているこのチラシに押されているスタンプは在阪の私立高の映研のもののようです。

当時の東京と大阪の新聞広告を眺めてみますと、どちらも日野皓正がコメントを寄せていますが、もうひとりが東京は土居まさる(タレント)、大阪は桂三枝(ヤング・オー!オー!司会者)となっていて、時代と東西の違いを感じます。

それにしても調べるほどに感じるのが、「チラシ大全集」のリバイバル関係のデータはあてにならないなぁ…ということ。他にも発見していますので、この辺はまたあらためて。

2013年4月28日日曜日

小さな恋のメロディ

ヤフオクをウォッチしていると、時々自分の思い込みが間違いだったことに気づくことがあります。

最近も「小さな恋のメロディ」のこのB5柄に封切日(1971年6月26日)付けで大阪の東宝敷島のスタンプが押されたチラシを入手して、認識を新たにした次第。封切の段階で作られていたんですね、これ。

この作品が日本で大人気だったのは有名な話(自分も日曜洋画劇場を観て惚れたクチ)ですが、東京地区の主な上映履歴を簡単にまとめますと(チラシはこちら)、

ニュー東宝 1971.6.26から20週
スキヤバシ映画 同年12.4から3週
江東リッツ 同年12.25から4週
TYチェーン 1972.318より「初恋」と二本立て
第1回リバイバル スバル座で1974.6.29から6週
第2回リバイバル ニュー東宝シネマ1で1976.6.26から2週
第3回リバイバル ニュー東宝シネマ1で1978.6.3から3週
※他にも「ベンジー」との二本立て等、散発的な二番館での公開あり。

といった感じで、この柄のチラシは江東リッツで封切られたものが最初だと思っていました。何でアンコール公開のムーブオーバーの段階で、と思っていたのですが、そうか、最初から作っていたのか。ちなみにスキヤバシ映画はその後のニュー東宝シネマ2ですが、大映の封切館から東宝洋画系の封切館に転向した第1作がこの作品でした。この段階で出ていてもよさそうなのですが、見かけないですね。

初公開版といえばこの柄。リンゴを型抜きしたレア版が
有名ですが、人気が高くてなかなか手に入りません。
この「緑柄」が悩ましいのはリバイバルでも使われていることで、スクリーンの「チラシ大全集」でもP142、1976年で紹介されています。ネットでも地方版(名宝スカラ座等)でこの柄が出品されているのを見かけますが、この時期ということなんでしょうかねぇ。時期がはっきりした「緑柄」をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてくださいませ。

こういったヘラルドの変則的な流用は他に先例があるのですが、それは別の機会にということで。

今回入手したスタンプ版は残念ながら三つ折にされていて(封筒に入れるため?)、折れていないものが欲しいものですが、江東リッツも二つ折りにされているものが多い気がしますし、かなり難しいかも。リンゴ型もいつかはなんとかしたいんですが。

H25.9.29追記 TYチェーンの公開状況の記述に誤りがありましたので、修正しました。詳細はこちら。