おことわり

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2013年5月13日月曜日

頭上の敵機/スパルタカス(リバイバル)

「イージー・ライダー」のエントリーで「『チラシ大全集』のリバイバル関係のデータはあてにならない」と書きましたが、これは出版当時(平成7年)の状況を考えれば無理からぬことで、Windows95がやっと出たような時代、資料の収集や確認に限界があったのは容易に想像がつきます。今なおリファレンスとして輝いている「大全集」の偉業に敬意を表しつつ、あくまで正誤表的な情報としてお読みいただければ、と。

最初に「あれ?」と思ったのは「眼下の敵」(Part1‐P.62)。未所有ですが、永年ねらっているチラシで、これは1965年11月に東急洋画部配給ででリバイバル(ミラノ=パンテオン系)された時のもの。初公開(1958年1月)はFOX配給で東京は有楽座です。大阪の南街劇場版(潜水艦を模した変形版)のチラシがオークションで人気が高いのですが、有楽座版はあるのかな。

こちらの「頭上の敵機」も同じ東急洋画部によるリバイバルで、「大全集」では1965年の頁(Part1‐P.142)に掲載されていますが、東京地区では画像にもありますが、翌年1月8日に「SOS一触即発」と二本立てで上映されたようです。同じFOX作品であるところをみると、まとめて購入・配給したんでしょうね。リバイバルは東京が先行するとは限らないので、1965年に上映されていた可能性は捨てきれないです。

こちらの「スパルタカス」も初公開の頁(Part1‐P.83)に掲載されていますが、よく見ると、ユニヴァーサル映画のマークが異なっており、初版が「総天然色」表示なのに、こちらは「テクニカラー」。裏面の文章も「2001年宇宙の旅」に触れています。

調べてみると、東京では日比谷スカラ座で1968年6月にリバイバル上映されているので、北野劇場もこの時期かと思います(正確な時期は未確認です)。ただ、自分は日比谷スカラ座版は見たことないのですが、あるんでしょうかね。

調べてみると、東京と大阪でリバイバル作品の上映時期がずれるということは、この時代あたりは案外見受けられます。その辺の話はあらためて。

2013年5月12日日曜日

2月に観た映画(メモ)

イオンシネマに置いてあったローカルアイドル
のイベントチラシ。地方のシネコンは映画を
かけている場合ではない…ということかも。
今さらではありますが、備忘録ということで。

2月は新作とは別に、イオンシネマの「なつかシネマ」に遠征。
富山に住んでいたころ、開館したての金沢のイオンで同じ名前の企画をやっていたから、定期的にやっているのかな。

オール・ザット・ジャズ」は久々の再見でしたが、やっぱり好きな映画。みゆき座の封切で観た時はもっぱら「エア・ロティカ」や「バイバイ・ライフ」といった踊りや歌に惹かれ、ストーリーやテーマはよく分らなかったのですが、齢を重ねて「死」や「病」が徐々に自分に近くなってくると、観る度に心に迫って来ますね。ラストのエセル・マーマンの「ショウほど素敵な商売はない」も同名の映画を「午前十時」で観たので、聞こえ方が少し違ったし(5人)。

招かれざる客」。冒頭、古い方のヘラルドマークが出たので、クラシックス上映をやっていた頃のフィルムなんでしょうな。ちょっと揺れあり。

もう少し人種問題に突っ込んだシリアスな作品かと思っていたのですが、ホームドラマ的な展開でやや拍子抜け。主題歌や風俗描写もベタで、この辺は「ニューシネマ以前」の限界なんでしょうね。それでも俳優陣が皆さん巧いので、それなりに楽しく観ることができました。これが遺作となったスペンサー・トレイシーですが、確かマックィーンが「シンシナティ・キッド」での共演を熱望していたはずで、エドワード・G・ロビンソンも良かったけど、こちらでも観たかったかなぁ…と思ったりしつつ(2人)。

ファイブ・イージー・ピーセス」。主題歌「スタンド・バイ・ユア・マン」は、生れて初めて買ったサントラのオムニバス盤「これがオリジナルサウンドトラックだ!」に台詞入りが収録されていて、繰り返し聞いたものです(「ブルース・ブラザース」でもカバーしてましたな。)が、あれから30余年、今回ようやく実物を映画館で。なんだ、冒頭で使ってたんだ。

それにしてもニコルソンが若いです。自分は「シャイニング」が初ニコルソンだったので、その昔、この人のアメリカでの人気の出方が「セックスアピールの魅力」云々と書かれていたのを読んで、「何で?」と思っていたのですが、初主演作がこれなら納得です。

この時代ならではのドロップ・アウトした若者を描いた作品ですが、”アウト”で外に飛び出すより、当節は”イン”で引きこもりだもんなぁ…と、思いながら70年代の風景を味わいました(2人)。

各文末のカッコ内の人数は自分を含めた観客数。個人的には古い映画をもっとスクリーンで観たいのですが、状況はキビしいです。この3本も現代の観客に響くか?といわれると、「オール~」が辛うじて、という感じだし。

でも、シネコン側の取り組み姿勢もいい加減。ロビーにはポスター等の告知類は一切なく、入口の掲示ポスターはネットからコピーしたものなのか、ドットがでかくて文字すら読めず。なんだかスーパーの一角のワゴンに置かれた見切り品、という扱いで悲しくなりました。イオンさん、ワーナー・マイカルも買ったんだからもっとしっかりしてください。

2013年5月5日日曜日

イージー・ライダー

ニュー東宝シネマ2
1972.6.10公開
ちょうど41年前の今日、1972年5月5日に「小さな恋のメロディ」で触れた、スキヤバシ映画の名称変更(ニュー東宝シネマ2)が行われました。なぜか「黄金の七人 1+6 エロチカ大作戦」の上映期間中という半端な時期に変わっています。

それで思い出したのが、「イージー・ライダー」のリバイバル上映。改称前後の2種類の館名が出ています。

「イージー・ライダー」は70年1月に有楽町スバル座で公開されましたが、スバル座版は前年12月公開の「サボテンの花」とカップリング冊子という仕様になっていて、この1枚ものは72年にデザインされたと思っていたのですが、「エデンの東」の三越版以来、いろいろ調べているうちにそうではないということを知りました。

初公開版
1970.1.24
右端のシミのような赤色は
裏面の「サボテンの花」の
イラストが映りこんだもの。
以前紹介したロードショーの付録の冊子「チラシBESTセレクション1000」に日劇文化の館名版が掲載されているのですが、これが1970年7月18日に公開された時のものでした(翌週25日に横浜東宝名画座でも公開。これも確か同デザインのチラシが出ていたはず)。

「イージー・ライダー」のスバル座公開は多くの若者を集めて半年近いロングラン、7月3日まで上映されました。日劇文化の上映は2週あけてのムーブ・オーバーだったんですね。自分は何となく日劇文化版はシネマ2の後かと勝手に思い込んでおりました。72年版をよく見れば、「あの爆音が!あのサウンドが!~」のキャッチコピーは館名の刷り色と同じな訳で、チラシにもともとあったものじゃないですね。修行が足りないなぁ、反省。

修行が足りないといえば、こちらの関西版も、チラシ大全集で1972年の頁に掲載されていたので、てっきりリバイバル版だと思っていましたが、こちらも1970年に作られていたものでした。大阪ではこの年の2月14日、梅田スカラ座と千日前スバル座が初公開でした。そういや東京では冊子版になっている「サボテンの花」も関西では1枚もので出ていましたから、理屈は合いますね。ちなみにチラシ大全集に掲載されているこのチラシに押されているスタンプは在阪の私立高の映研のもののようです。

当時の東京と大阪の新聞広告を眺めてみますと、どちらも日野皓正がコメントを寄せていますが、もうひとりが東京は土居まさる(タレント)、大阪は桂三枝(ヤング・オー!オー!司会者)となっていて、時代と東西の違いを感じます。

それにしても調べるほどに感じるのが、「チラシ大全集」のリバイバル関係のデータはあてにならないなぁ…ということ。他にも発見していますので、この辺はまたあらためて。