おことわり

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2012年4月30日月曜日

芽ばえ

前回のエントリーで麻丘めぐみの名前が出たから次はジャクリーヌ・ササールの「芽ばえ」って、我ながらいい加減な展開ですね。
でも麻丘めぐみって、デビュー曲が「芽ばえ」でその次が「悲しみよこんにちは」というのは、レコード会社もかつての海外のアイドルを意識していたんだろうな。

それはさておき。
どちらかというと70年代ものを熱心に集めていたこともあって(そのせいでエントリーが偏りがちですいません)、60年代以前の蒐集はまだまだ(というかおそらく半永久的に)初心者レベルなのですが、トライしてみてつくづく思うのは「チラシかどうか確信持てない」ケースが多いな、ということ。

例えば、この「芽ばえ」もB5サイズをたてに二つに折っているもので、裏面は広告ですから、まず間違いなくチラシだと思うのですが、館名がありません。館名を載せるスペースも無いように思います(しいて言えば右上あたり?)。

この作品を配給しているイタリフィルムNCC(共同配給)はこの時期、「芽ばえ」を含めて、結構な数の作品を日比谷スカラ座で上映しているのですが、他の作品(「道」「屋根」「カビリアの夜」「三月生れ」「鉄道員」等)はすべて表に「スカラ座」と刷られているわけです。しかも「芽ばえ」だけ形が独自のスタイル。

そうなると、いくら「チラシ大全集」に載っていても「これで…OKですよね?」と自問自答したくなってしまうのが、キャリアの浅い人間のつらいところです。ましてや「芽ばえ」には他にもジャクリーヌ・ササールを紹介した蛇腹型の小冊子があり、これはこれで当時の映画会社の力の入れようが分かるいい資料なのですが、これも「これって映画館で配られたものなの?」と問われると、「う~ん…」と腕を組まざるを得ません。前売特典かもしらんしね。

とまぁ、すっかり弱気なエントリーになってしまいましたが、せっかくなので、上記の小冊子を含め、手持ちのササール嬢のチラシをこちらにまとめてアップしておきます。まとめて、といっても初期の2作と引退前の2作だけですが。頭と尻尾だけ、という感じでして、「お嬢さん、お手やわらかに!」や「激しい季節」といった、美味しい「中身」にはなかなか手が届きそうにないです。

H24.11.18追記 「女は選ぶ権利がある」を入手しましたので、画像を追加しました。

2012年4月29日日曜日

アーティスト

金曜の夜、仕事帰りに「アーティスト」へ。
最初のチラシを見たとき、連想したのが「エド・ウッド」。サイレント期に焦点を当てた映画愛に満ちた作品、ってものなんだろうなと。

これは映画が悪いわけではないけれど、不愉快だったのがスクリーンサイズについての注意書きがなかったこと。当時の映画を模してスタンダードサイズで上映しているのだけれど、今時のシネコンだから当然左右が余ってしまう。こちらも事情は分かっているからやむをえないと思うけれど、前もってお断りくらい出してよ。ひょっとすると「ヤマトよ永遠に」のワープディメンション方式が再び…とか期待してしまうではないか。

観た後で調べてみると、監督と主演男優は以前にコメディを一本作っているようです。それでかもしれないけれど、主演男優の表情や動きのキレが全盛期の植木等に見えてならない。世評ではダグラス・フェアバンクスがどうのと書いているようですが、その辺まではこちとら分かりません。で、サイレントからトーキーへの時代の流れの中で植木さんが悪戦苦闘するのですが、台詞がないもんだから最近見つけた植木等botのツィートが頭の中に浮かんでしまい、どうもあまり悩んでいるように見えません。深刻な顔をしていても、その後「まァ何とかなりますよ、ウッシッシ」とか言い出しそうで。

まぁ、これらはこっちの勝手な思い込みだから仕方ないけれど、それはそれとして、映画全体もただのドタバタの域を出ておらず、あえてサイレントや白黒にした意味がほとんど感じられないのが残念です。チラシには「君と出会って、世界は再び色づきはじめる」とありますが、このコピーがそのまま流用できそうな「カラー・オブ・ハート」くらいの視点・表現を音の世界でやってみて欲しかったですね。アカデミー賞を獲らせるからには。

加齢とともに「賞」の権威というものに興味が薄れているのものの、これが作品賞というのは久々にショックでした。どれくらい久々かというと、「森昌子や三善英史をさておいて麻丘めぐみがレコ大新人賞を取った時」に感じた以来?いや「スクリーン」か「ロードショー」の読者選出ベストワンに「キャノンボール」が選ばれた時以来かな。それくらいです。

観終わった晩、頭の中に浮かんだ光景はある映画のシーン。戦いに敗れた奴隷たちにローマ軍の高官が「『アーティスト』は誰だ、どこにいる!」と叫ぶ。立ち上がろうとする自称「天才」コメディアン。それを抑えるかのように次々と立ち上がる子分の芸人たち。「俺がアーティストだ。」「いや、アーティストは俺だ。」と口々に名乗りながら…
今回の受賞はそんな勘違いをあちこちで起こしそうな気がしてなりません。

日本ではあまりヒットしなかったらしいですが、仕方ないですね。だって、「台詞のないモノクロの感動作」ということなら、お金を払ってこの映画を観るよりも、ひと頃ネットで話題になった鉄拳の「振り子」の方が、無料で、3分で、ずっと感動できるのですから。



2012年4月28日土曜日

かわいい女/すべての人に愛を求めて(夜の関係)

タイトル「かわいい女」の「わ」の字の下の写真が
ブルース・リーなんだそうです。
改題がらみでもう一本。

1970年12月公開の「かわいい女」。「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」の名台詞で有名な探偵フィリップ・マーロウの小説シリーズの映画化ですが、今となってはブルース・リーが端役で出演していることの方が有名で、そのあおりか、チラシも人気が高いようです。今回Wikipedeliaを覗いてみたら、しっかり、というかそのことだけが解説されており、笑ってしまいました。誰だよ、こんなの書いたのは。「要出典」とか突っ込まれてるし。

この作品、原作も有名だし、主演もジェームズ・ガーナーなので、てっきりロードショー公開されているものだと思っていたのですが、調べてみると二番館(TYチェーン)の封切でした。

私が持っているものは「近日ロードショー」だけなのですが、「同時上映/夜の関係」と刷られた館名入りのチラシが存在します。つまり、この二番館の館名入りが本命版ということになるわけです。

ちなみに当時の封切館は、渋谷地球座、池袋スカラ座、上野宝塚、本所映画、吉祥寺スカラ座、川崎日劇、横浜東宝シネマ、といったあたりです。ご参考まで。

で、この二本立のもう一本、「夜の関係」がどんな映画かというと、これが同じ年の2月に公開された「すべての人に愛を求めて」なのでした。当時の新聞広告にも小さく元のタイトルが出ていますが、公開時のキャッチコピー(チラシ)が

「恋の歓びにふるえ 恋の美しさに魅せられ 恋の哀しさにあふるる…」だったのが、

「夜の関係」に変わると、「凄い!冴えたアクション!度が濃い情事!」の大見出しの下、

「欲望の衝動に駆られた異常な官能を強烈に描きつくす真夜中のエクスタシー!」になってます。

恋愛映画を、こんな煽りで売るのか?とも思えますが、「すべての~」のチラシを眺めていると、「サディストの老人のえじきとされ、レスビアンに溺れながら、はじめて知った異性の肌にとまどう若い女性の心理」とか書かれていますので、二番館の時の方が内容に即しているのかもしれません。

【以下期間限定】
普段はいかがなものかと思うので掲載していないのですが、3,000ページビュー突破記念ということで「かわいい女/夜の関係」と「電撃脱走」の当時の新聞広告(縮刷版のコピー)をこちらにアップしました。周囲の広告とあわせてご覧いただければと思います。
GW限定ということで、5月6日をもって削除いたします。

2012年4月26日木曜日

ロードショーとスクリーン 外国映画ブームの時代

拙ブログにもコメントをいただいておりますmamiyaさんのブログFROMをリンクいたしました。正統派の映画批評サイト「夢路庵の映画批評」を主宰されておられます。残念ながら現在お休み中のくろばくさんの「エイガ・デイズ」と同様、読み応えのある批評をされていらっしゃいますので、他のリンクともどもぜひご訪問いただければと思います。

さて、本日は緊急情報。というか2時間前に偶然見つけました。
小生のような”なんちゃって映画ファン”には非常に敷居の高い東京国立近代美術館フィルムセンターの展示室にて今月11日から7月29日まで「ロードショーとスクリーン 外国映画ブームの時代」という展示が行われています。

最近刊行された「仁義なき日本沈没」という新書では1973年を日本映画の転換点として捉えていますが、邦画と洋画の配給収入が逆転した1975年にチラシブームが本格化したのは偶然ではないのでは、と個人的に考えています。

そんな70年代から80年代の洋画の宣伝に焦点を当てた展示になっているようで、規模は小さいかもしれませんが、興味を惹く内容が並んでいます。

5月19日(土)には元日本ヘラルド映画の坂上直行氏による「『エマニエル夫人』の時代~日本ヘラルド映画の大ヒット作と宣伝」、7月7日(土)には元東宝東和の竹内康治氏による「『サスペリア』の時代~東宝東和の大ヒット作と宣伝」というギャラリー・トークも予定されており、興味津々です。

この企画、今年50周年を迎える”一般社団法人外国映画輸入配給協会”(外配協)との共同開催のようなのだけれど、外配協のHPにはまったく掲載されておらず(というか2月以降更新がない模様)、寂しい限り。洋画離れを嘆くなら、まずこういう企画をもっとPRして欲しいなぁ。

とりあえず行ったらレポします。


2012年4月23日月曜日

電撃脱走 地獄のターゲット

 今回の引越先でありがたかったのが、図書館にある新聞の縮刷版を自由に見ることができるところ。チラシの年代の特定に大活躍してくれるのが、当時の新聞広告なんだけれど、前の所は閉架式で、いちいち受付に届出しなければならず、まだるっこいし、何より恥ずかしい。

で、こちらに来て最初に調べてみたのが、「電撃脱走 地獄のターゲット」。一般的には「電撃脱走」版が流通していて、「地獄のターゲット」の方はレアものになっています。私が持っている「地獄~」は翌年5月に岩国国際(山口県)で上映された時のもの。東京の封切から7ヶ月も経っています。今ではちょっと考えにくい話ですね。

実は今回確認するまで、この作品も「恋のジーンズ大作戦」と同様、封切直前に副題がついたため、東京版のチラシが間に合わなかったのかなと考えていました。ところが、当時の広告を確認すると「電撃脱走」のまま。ということは、二番館や地方で公開する時に改題したということなのか。

当時は二番館に下りたり、地方で公開する時にタイトルをいじるのはよくあったようで、以前調べていた時も、MGMの「…チック…チック…チック」(1970年5月封切)が二番館では「白昼の非常線」というタイトルになっていてびっくりしたことがありました。

「それにしてもわざわざチラシを作るかなぁ…」と思いながら、縮刷版をめくっていたところ、なんということでしょう、改題に関する記事が載っていたのです。

当時の朝日新聞の夕刊に「映画 観客との接点」という短期連載がされていて、10月20日の第6回に「買手市場に興行側強気」の例として、「東宝で上映中の『電撃脱走』。配給会社がつけたのは『地獄のターゲット』だったが、東宝が首を横に振った。同じ作品なのに、一時、ポスターは『地獄のターゲット』、新聞広告は『電撃脱走』と混乱した。」とありました。当時から錯綜していたんですね。封切では興行側に折れて、その後の公開で本来のタイトルに戻したということでしょうか。それにしても「地獄のターゲット」の何が良くなかったのか。まだまだ「地獄」という言葉が興行側にタブーだったとか?ちょっと謎です。

余談ですが、「電撃脱走」の新聞広告の上のテレビ欄の記事では「『ウルトラマン・エース』の南夕子役の星光子が今夜の放送でお別れになる」とか新番組の「レインボーマン」について原作者の川内康範が「こども番組にも祖国愛を」と抱負を語ったりと興味深かったです。当時小学校低学年だった自分にとっては、こっちの方が身近な話題でした。

2012年4月22日日曜日

ドライヴ

配給はクロックワークス。同じ横型チラシでも創業当初の「ハミルトン」に
比べると、品質はグッと上昇しています。
ドライヴを観にドライブ。

ようやく映画を見に行く時間が出来たかなと思ったら、世間はGW前で「ヒューゴ」も「戦火の馬」も終わってた。
ドライヴ」も来週の金曜で終了ということなので、小1時間かけて県境のシネコンへ。

う~む、痛恨の19時35分スタート、久々の正規料金。パンフとあわせて2,500円か。受付のお姉さんは「今ならどこでもご自由にお席をお選べいただけます。」とニッコリ。豪勢な週末だ。

新鋭監督のR15作品ということなので、またまた暴力描写が半端ないのかと、ちと構えましたが、それなりにインパクトはあるものの、くどくないので、さほどグロさは感じない。編集の妙か、レート対策なのか。

全体的に台詞を排したクールな演出。台詞が少なすぎて、話がつながってないと思われるところがあったり、主人公のキャラクター造型が不可解(名無しなのはいいけど、こんな奴がレースに出たがるか?とか。「運転だけ」という割に鍛えてもいないのに腕っぷしが良かったりとか)だったりと結構粗があるのだけれど、あまり気にならなかったのはストーリーそのものが「シェーン」系の王道一直線だからかな。この手の「拾い物」作品は凝った設定やひねった脚本が売りだったりすることが多くて、ちょっとした破綻で興醒めするけれど、これはストーリーが平凡な分、救われているのかも。

インディーズ系だからかもしれませんが、カーチェイスも「ブリット」あたりを彷彿させるクラシカルなもの。カメラを振り回すこともなければ、過剰なダイアローグもなしと、ある意味落ち着いて楽しめる作品でした。ただ、2,500円となると、さすがにちょっとそこまでの価値は…という感じかな。

さらに、これがカンヌの監督賞といわれるとなぁ。インディペンデント・スピリット賞あたりなら分かるけど。
メジャーで予算をアップして撮ったら「コラテラル」みたいになるのかなぁ、と観終わった後、地元名物を食べつつ考えたのでありました。

2012年4月16日月曜日

ディア・ハンター

1979.3.17初公開時
テアトル東京ほか
本屋に立ち寄ったらキネ旬が「ユニバーサル映画の100年」という特集を組んでいて、「チラシで辿る作品たち」とあったので、覗いてみたのですが。

何だかなぁ。60年代までは超駆け足。70年代も、そりゃお値段的に「真昼の死闘」や「荒野のストレンジャー」もありでしょうけど、70年代のユニバーサルはエアポートシリーズセンサラウンド第1作の「大地震」でしょ、やはり。「大地震」はユニバーサルスタジオのアトラクションにもあったしね。震災に配慮したのかな。
1980.5.10
日本アカデミー賞受賞後の
再上映(丸の内東宝ほか)

それとともに感慨深かったのが、「ディア・ハンター」が載っていたこと。この作品、調べてみると、米ユニバーサルと英EMIの合作で、ユナイトは日本やフランスで配給しただけなんですね。道理でここんとこのDVDはユニバーサルから出ているんだ。「午前十時」の時はどうだったけか。

どうも、自分の頭の中ではマイケル・チミノユナイトの「『サンダーボルト』で出会い、『ディア・ハンター』で成功、『天国の門』で破綻」という二人三脚ストーリーが出来上がってしまっていて、しっくり来ません。
1988年のリバイバル
UIP配給ですがユナイト作品
として表示されています。
でも、ここ10年でこの作品にDVD等で接した人にとっては、「ユニバーサル作品」になる訳で。

こうやって歴史認識が変わっていくのかなぁ…と思った次第です。はい。

なお、「ディア・ハンター」の上映状況を調べてみると、アカデミー賞受賞(79.4.)と日本アカデミー賞受賞(80.4)の間の1980年2月にもテアトル東京で5週のアンコール上映がされています。ひょっとすると裏違いとかの微妙な違いがあるのかもしれません。自分自身は裏違いは基本的に蒐集の対象外なので、この辺は何とも言えませんが、ご参考まで。

2012年4月15日日曜日

ローマの休日(シネマ富士)

さ~て、いっちょブワーっと行くか。

という訳で、再開の一発目くらいは大型企画(?)、「シネマ富士」のご紹介。

スクリーンの「チラシ大全集」に掲載されてる「ローマの休日」が「チラシではない。」という話を耳にされた方、目にした方は結構多いと思います。

その昔、若干の疑念を抱きつつも清水の舞台から飛び下りて「ローマの休日」を落札したのですが、その後「モガンボ」を入手したところ、映画会社が違う(「ローマ」はパラマウント、「モガンボ」はMGM)のに同じようなつくり。調べるとチラシ本の1954年の頁に似たようなつくりのものが何作か。何だこりゃ。

ショップの方にお聞きすると、「プレスらしい」とか「印刷会社がチラシの作成を請け負うために作った見本誌の一部」とかいろいろな答えが返ってきて、謎は深まるばかり。

「やっぱ現物がなくちゃ分からんなぁ」と思っていたところ、これらの”チラシ”と似た体裁のものが収録された出版物「シネマ富士」(これには「ゴジラ」が掲載されていました)をヤフオクで発見、その時は落札できなかったものの、ネット古書店でそれとは別の「泰春号」を入手し、「さてはこれだな。」とひとりごちた次第。

今回ようやく「現物」である美峰號を入手しましたので、思い切って当節流行りの”自炊”をしてみました。こちらでご覧ください。

「見本誌」という話はこの冊子表3の「ちらし御注文承ります」から来ているのかもしれません。冊子の価格が書いてないので、見本誌かもしれないけれど、広告はある。翌年発行の泰春号では、これを発行した興芸社という会社の「天然色スタァしおり」の広告があり、これには「シネマ富士お買い求めの映画館にてお問合せください」との文言がありますので、映画館でプログラムや映画雑誌と同じ扱いで売られていたのかな、とも思います。ちなみに泰春号にも価格は載っていません.

結局、清水の舞台から転落死してしまったことになるのですが、ちょっとだけあきらめがつかない。というのも、かなり前に、この「ローマ」に近所の商店等の広告を加刷したチラシ(確か東北の方の館名だったと記憶します)をヤフオクで見たことがあり、これが飛び下りた動機のひとつなもので。正式なものではないにしろ、転用されたことはある、ということになるのかも(我ながらしつこいな)。

それにしても、封切時の日比谷映画版のチラシはないのか、「ローマの休日」は。あまたあるチラシ本にも載っていないように思います。この辺の事情、ご存知の方はいらっしゃいませんか。

そんなこんなで、一個人のブログではありますが、今後もこの種の「謎」を追求すべく、書き連ねていこうと思っています。謎を解くためにはより幅広い訪問者が必要なので、広報活動をしなくてはなぁ…と考える今日この頃です。これからもご支援のほどよろしくお願いいたします。

2012年4月8日日曜日

お詫びと訂正

これは1986年2月、ヘラルドによるリバイバル。
同時上映はマイ・ウェイでした。
ご無沙汰しております。
ようやくパソコンとスキャナーがつながり、取急ぎご挨拶ができるようになりました。まだまだバタバタしておりますので、本格的なエントリー再開はもう少々お待ち願います。

お休み中、ブログの画面を「動的ビュー」にしてみました。
アクセスは上がったのですが、こちらからはどうにも使いにくいので、元の画面(風)に戻すことにします。

さて、前回のエントリーで1974年2月リバイバルの卒業について、テアトル銀座は2月2日、新宿武蔵野館は9日公開としておりましたが、あらためて確認したところ、両館とも2月9日より公開されていました。この2館は昨年末から「日本沈没」を上映していたのですが、ご承知のとおりこの作品は当時大ヒットしておりまして、その余波で公開が延びたようです。調査の不徹底、お詫びいたします。

また、これに若干関連しますが、以前の「荒野の七人」のエントリーで71年と76年のリバイバルは同一図案(のはず)と書きましたが、「卒業」同様、ユナイトマークが異なっているようです。

そんなこんなで間違いも多い本ブログですが、今後ともよろしくお願いいたしますとともに、読者の皆さまのご指導・ご鞭撻を心よりお願いする次第であります。