おことわり

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2013年12月27日金曜日

暖簾/みじかくも美しく燃え

追悼の意も込めて、今年のうちに書いておきたいことを。

山崎豊子というと、「白い巨塔」や「華麗なる一族」といった社会派作品の印象が強い方ですが、実家であるデパ地下常連の昆布店を舞台にした「暖簾」がデビュー作。

チラシによれば、1957年に出版し、その年の5月には菊田一夫の脚色・演出で東京芸術座と梅田コマ劇場で劇化上演されたとのことで、舞台と同じ森繁主演で翌年6月に映画公開。次作「花のれん」がその年の上半期の直木賞と、作品が世に出てからはとんとん拍子の感もありますが、「暖簾」の版元は当時創業間もない、今ではSF・推理小説専門の東京創元社な訳で、家柄や環境(毎日新聞社に井上靖の下で勤務)は恵まれていたものの、出版までの壁は少し高かったのかもしれません。
女の勲章(1961.6.28封切)
「処女だっせ!」と中村玉緒
みゆき座は東宝洋画系の前は
大映の直営館でした。

その長編の大半が映画化・テレビドラマ化されている山崎作品ですが、唯一されていないのが「仮装集団」(1967)。

チラシコレクターには加刷でおなじみの”労音”をモデルに、政治との関係を描いた結構きわどいお話。まぁ、映像化はムリでしょうね。これを読むと、労音、音協、民音といった団体の舞台裏が何となく察せられます。

ただし、小説内では(労音を模した)組織の演劇やコンサート事業について取り上げられていますが、映画に関する描写はほとんどなかったように記憶していますので、その辺を期待して読むことはお奨めできません。
1969.1.13 みゆき座
岩谷時子は越路吹雪や加山雄三、郷ひろみに代表される数々の名曲・ヒット曲や東宝の翻訳ミュージカルで名高い方でしたが、映画の仕事で有名なのが、「みじかくも美しく燃え」の邦題の名付け親だということ。社史「東和の半世紀」に岩谷自身がいきさつを綴っておられました。

東宝の文芸部に所属していたこともあって東和とは縁があったそうですが、招かれる試写会は子供を主人公にした作品が多く、「たまには色っぽいものを見せてくださいよ」とか言っていたそう。

そんなある夏の午後。「今度は岩谷さん好みの映画を見せますから直ぐ来て下さい」と早急な電話があり、いそいそと出かけたのがこの作品。試写が終わるや宣伝部の部屋の机の前に連れて行かれ、

「実は、今の映画の題名を考えて欲しいのです」
「ええ? 今ですか?」
「そうです、僕たち急いでいるんです」
                       
 と頼まれます。3,4人に取り囲まれて…

「見たままの感じでいいかしら」
「そうそう、それが一番です。それだから来て貰ったんです」
「それじゃ『みじかくも美しく燃え』というのはどうかしら、他にないわ」と、紙に題名を書いて字づらを眺めているうちに決まってしまったそうな。
69日のロングラン。当時は
「第二の『制服の処女』」といわれたそう。

後日加山雄三と会った際に、加山の母親がこの映画を見て「あんな題名を今度、歌に付けて貰うといい。」と言ったそうで、加山に「誰がつけたのかなあ」といわれ、私ですとも言いかねて困ってしまったとか。

さっとこのようなタイトルをひねり出す岩谷のプロの仕事も素晴らしいですし、題名から息子の作品との相性を感じ取る加山の母親の「女の直感」もなかなかだなぁ…と感じるエピソードです。

あらためて山崎さん、岩谷さん御両人のご冥福をお祈りしたいと思います。
それでは皆さま、よいお年を。

2013年12月25日水曜日

6月に観た映画

やっぱり年内に追いつくのはムリでしたが、それでもしつこく。

午前十時で「慕情」。冒頭の空撮からしてシネマスコープの魅力満開。観光映画の色彩が強いメロメロのメロドラマで、中国に関する描写は時代を感じさせるし、ややご都合主義的な展開もあるけれど、ジェニファー・ジョーンズの名演で一気に見せます。

W・ホールデンが「ここ(香港)は考えるのではなく感じる所だ。」みたいな台詞を喋っていて、字幕のせいかも知れないけれど、つい「燃えよドラゴン」の元ネタかな、と思ったり。

シュガーマン 奇跡に愛された男」。地元アメリカでは全くの泣かず飛ばずだったシンガーソングライターの残したレコードが、本人の知らぬうちに流れ流れて南アフリカで大評判、反アパルトヘイトの象徴になっていた、という嘘のような本当のお話のドキュメンタリー。題材はかなり面白いのですが、記録映画にするにはちょっと時機を逸した感もあり、ドラマ化した方が良かったのかも、という気が。

主人公のシンガーが黒人ではなかったことが、当局の規制をすり抜け、南ア国内の反アパルトヘイト支持の学生たち(白人)から広まるという展開を生んだとのことでしたが、それを観ていて思い出したのが、かつてフィルムセンターのギャラリートークで聞いた元ヘラルドの坂上直行氏の「『小さな恋のメロディ』は南アフリカでもヒットした。」という発言。あの作品も確かキャストは全員白人だったはずで、内容は反体制を醸し出しているし、製作時期(1971年)も近いので、似た因子を持っていたのかなぁ、と感じました。

グランド・マスター」。ありゃぁ、これはすっかり忘却の彼方、今となってはほとんど覚えておりませんな。

冒頭の雨中の拳闘シーンとかは色調は美しかったけれど、クローズアップが多すぎて、今ひとつ何しているんだかわからないって感じ。お話そのものもグダグダで、史実(登場人物の基礎知識)を知らないと意味不明のエピソード(床屋のシーン)もあったりして、映像の美しさには眼を見張るものの、それだけではなぁ。キャラクターは立ってても、それ以上の踏み込みがなかったような印象が残っております。日本は悪役ではありますが、案外控えめな描写。

ちなみに自分はウォン・カーウァイは初見であります。

オブリビオン」。この後に観た「エリジウム」もそうなんだけれど、作り手は未来社会のヴィジョンを手間暇かけてきっちりと構築して見せてくれるのに、観客である自分の琴線にはどうも響かないのが、我ながらもどかしい。

CGに麻痺しちゃって贅沢病にかかっているのだろう。好みの設定、世界観、ストーリーなのに、既視感の囚人と化してしまい、面白がれない自分が面白くないという無限ループの2時間。「ワンダー」が足りない、と批判することもできるんだろうけれど、それだけではない気もしました。リバイバルで観た「2001年」のスリットスキャンに圧倒された10代の感受性はもう戻らないんだな。

チラシはトム・クルーズ単独主演作にしてはいつもの顔のアップではなく、彼のハリウッドでのポジションも少しづつ変化している予感。


スプリング・ブレイカーズ」。宣伝のビジュアルから「ワイルドシングス」ぽい、ティーンの犯罪映画を(エロ含みで)期待したのですが、「ワイルド」と比べるとかなり青春モノ寄りで、物語もひねりがなく、やや肩透かし。

青春モノとしてはスプリングブレイクの乱痴気騒ぎのショットとかいい雰囲気だし、少女たちが切なさを吐露する部分もいいといえばいいのですが、どうも中盤からの櫛の歯が欠けていく展開が、何の工夫もないというか、適当というか…ラジオの深夜番組で「○○放送(←地方局名)をお聴きの方はこの時間まで」といわれているような感覚。まぁいずれにせよブリトニー・スピアーズあたりをネタに使っている時点で、自分のようなオッサンは判ったふりしちゃいけませんな。オッパイに釣られて失敗、の一席。

リアル~完全なる首長竜の日~」。黒沢清監督は昔DVDで観た「回路」がどうにも難解で、以来何となく敬遠していたのですが、メジャーなキャストとSFっぽい掴みに引かれて行ってみた。

う~ん、個人的には「ブレインストーム」的な展開を期待していたのですが、どうも出だしから雰囲気が変で、案の定の♪心の旅がはじまるぅ~な流れに、テンション急降下。好きな人にはたまらないのでしょうが、どうもこの手は苦手でして。ひたすらどんより。主演の二人も頑張っているんですが。

最後に使われるCGも、それまでの異世界演出に合わせた色調、といえるのかもしれないけれど、ちょっとなぁ。

炎のランナー」。初公開の時、テレビの映画紹介コーナーの映像(競技中に転倒するシーン)を観ただけで、なぜか涙が出たという、後にも先にもない不思議な経験をした作品。

30年ぶりの再会でしたが、もともとが昔の話のうえ、奇をてらった演出もないことから、さしたる違和感もなく楽しみました。音楽は当時は斬新だったかも知れないけれど、もはや古典だもんなぁ。画質もデジタル臭をあまり感じず、満足満足。

この年齢になって観返すと、スポーツ映画としての美しさだけではなく、イギリスの階級社会の悪弊、アマチュアリズム、さらにはハリウッドにおけるユダヤ系の影響力の強さ等々、思いをめぐらす点が多々あって、より一層味わい深い2時間でありました。やっぱオリンピックは欧州のものだよなぁ。

「炎のランナー」で20年代づいたのか、空いた時間に「華麗なるギャツビー」へ。原作もレッドフォード版も押さえてないのに我ながら無謀だな。

バズ・ラーマン監督は今まで一本も観ていないのですが、昔「ムーラン・ルージュ」の予告で驚かされた派手な演出が、この作品のパーティのシーンでも繰り返されていて、それなりに面白かったのですが、ドラマ部分になると、どうも今ひとつ。特にクライマックスのプラザホテルのシーンは物足りなかったです。デイジーの夫役がちょっと弱かったかなぁ。ネットを見ると、当初はベン・アフレックやブラッドリー・クーパーの名前が挙がっていたようですが、その辺だったら見応えあったのかも。

それにしても、ジェイソン・クラーク、今年はよく見かけたなぁ。

2013年12月2日月曜日

水の中の小さな太陽/燃えつきた納屋(道頓堀朝日座版)

状態が悪くて申し訳ないですが、状態がいいものは
手が届かないのもまた事実。
感想文が続くと疲れますので、ちょっと画像展示でお茶を濁します。
先日「恋のマノン」を観に久々に新宿に出かけたら、ピカデリーのそばに「角座」が。大阪で復活したというニュースを最近聞きましたが、東京にもあるんですね。

「道頓堀五座」という浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座を指す言葉があるそうで、芝居小屋の名前ですが、一時期映画館だった劇場もありました。

朝日座も昭和50年代頃は芝居の公演の合間に映画を上映していたことがあり、チラシも独自のデザインが多く、ちょっとハマってしまったのですが、悩ましいのが日程に曜日がないこと。リアルタイムで集めていないといつ頃のものか確証が持てません。「風と共に去りぬ」の阪急プラザ版を調べた時にあわせて確認してみたので、こちらに手持ち分をまとめてみました。まだまだ種類はあるし、「ドラゴン大会」なぞはかなりハードルが高いので、コンプの道は遠いです。

それにしても、これ調べたの今年の5月だもんなぁ。まったくもう…

2013年11月30日土曜日

5月に観た映画

しつこく感想の続きをば。

ラストスタンド」。「ダイハード」の10作目あたりがこうなりそう、みたいなお話で、コンパクトにまとめられた肩の凝らないアクション篇。婆さんがヘルプするシーンとかを観ると、もうちょっと住民たちの活躍があってもいいのかな、とも思いましたが、敵方にとっては主人公の住む街は単なる通過点だもんな。「悪党vs住民」の広がりにはならないか。

シュワルツェネッガーはもともと芝居が上手い人ではないので、台詞回しとかはちょっとツラい感じがしましたが、最後の格闘で体を張った大奮闘をみせてくれて嬉しかったです。興行的にはかつての勢いは望めないのでしょうが、これからも元気な姿を見せて欲しいもの(ヴァンダムもボルボのCMで頑張ってるしね)。
「L.A.ギャングストーリー」。う~ん、これだけ硬派なメンツが揃っていて、やっていることが「J.エドガー」劇中のFBIを礼賛したテレビドラマみたいなノリになっちゃっているのはどうしてなんですかね。画面の色使いが「ディック・トレーシー」あたりを意識しているのかな、とも思いましたので、コミックか何かの雰囲気を狙ったのかもしれませんが、「L.A.コンフィデンシャル」に魅せられた自分としては、お子様向けの安っぽさにしか感じられず、どうも納得できません。

それにしても「ギャングストーリー」って邦題はねぇだろ。これじゃギャングが主役じゃん。原題のsquadはどこに消えた?チラシもHPも原題の表示がないなんて、昔の東宝東和みたいで、変な意味で嬉しくもありますが…
ワーナーは「ゼロ・グラヴィティ」の2種類目のチラシがマークどころか社名すら載せていないし、何を考えているのかな(無印良品ですか?)。
レイダース/失われたアーク」。この辺はかつて廉価版のビデオを繰返し観ていたので、懐かしさとか新発見とかはないのですが、大きな画面といい音響で観ることができるのはやっぱりありがたいです。これでしょっぱなの岩の玉が支柱つきのオリジナルだったらいうことないのですが、それは無理ですね。

観ながらずっと考えていたのは、何だかんだいってこの時代はまだまだアナログだったんだなぁ、ということ。4作目とかはすっかりCG大会で、画面は派手だけれど、「はいはい。凄いですねぇ(棒)」と、嫌な客になってしまったのですが、1作目の車の追跡シーンは「そういやインディを殴るオッサン、スタントマンが直にやったんだったけか(記憶違いかも)」とか考えつつも「お、スゲェ」と身を乗り出して観てしまいます。公開当時は、アーク開封の特撮ばかり「凄い凄い」と思っていたのに、変われば変わるものだ。
「リンカーン」。ダニエル・デイ=ルイス、3度目のオスカー、って一人でそんなに貰っていいの?こりゃ生涯ふたケタ受賞あるで、と少々斜に構えて出かけましたが、そんな意地悪な見方を吹っ飛ばす熱演で、失礼いたしました。別に本人が猟賞活動している訳じゃないし。でも、最近「REDリターンズ」の予告編を観る度にマルコヴィッチが1回も貰えていないという不条理を感じるので、まぁいろいろと難しいですね。

本編ですが、生涯を俯瞰する伝記的なものではなく、奴隷解放に関する法案の審議・採決に的を絞った構成で、最近のアメリカ議会のねじれ現象も彷彿させて興味深く、非常に面白く観ることができました。陳情を受ける大統領の姿は「ゴッドファーザー」冒頭のマーロン・ブランドみたいで、ロビー社会ですなぁ。「政治という仕事は、情熱と判断力の両方を使いながら、堅い板に力をこめて、ゆっくりと穴を開けていくような仕事です。」という言葉を思い出した一編。

中二病を発症して数十年、日本映画の食わず嫌い(特に情緒的な作品)を続けてきましたが、寄る年波による心境の変化か、木下恵介生誕100年を記念した上映を当地のMOVIXでもやっていたので、時間が合った作品を2本ほど。

二十四の瞳」は終わってみれば2時間半の大作だったのですが、構成がしっかりしているのか、少しも飽きさせることのない、見応えのあるドラマでした。戦後10年も経たない製作ということもあってか、「戦争はもう懲り懲り」というスタッフ・キャストの感情が生々しく伝わってきて、昨今の教科書的な、あるいは政治的な意図が見え隠れする作品とは別物ですね。
楢山節考」は実験色の強い作品で、今の眼から観ると、逆に古臭さを感じなくもない点もあるのですが、セットの懲り方も半端なく、日本映画の黄金期の力強さが伝わってきます。作品のテーマが当時の自分の心境と重なる、という個人的な事情もあったので、感慨深い鑑賞でありました。

と、いうことで、もう少し日本映画も、特に古いのは観ておきたいなぁ、と思うのですが、機会はなかなかないですね。新作は…というと、予告編を観る限り、映画より「日本映画ダメ絶対bot」の方が面白く思えてしまうのが困ったものです。

2013年11月17日日曜日

4月に観た映画

とうとう半年以上遅れてしまいましたが、年内には追いつきたく、メモ。

デジタル上映となった「午前十時」ですが、当地のシネコンでは小さいスクリーンに押し込まれ、せっかくのシネスコ作品も上下に黒味が残るレターボックス上映、と雰囲気がないことこの上ない。「タワーリング・インフェルノ」は画質もプロジェクター投影感(←うまく表現できませんが)があって、見始めは違和感があったのですが、話が進むにつれてそれもあまり気にならなくなり、あっという間の165分。今どきのハリウッドでは高層ビル一棟が燃えたくらいじゃ商売にならないのでしょうが、CG描くより人間描けよな、とあらためて思わされました。

マックィーンの後にドン・ゴードンの姿を見つけ、舞台はシスコでロバート・ボーンも…と、ブリット色濃厚で、マックィーンの力の入れ方はタイトル順だけではなかったのだなぁ、と感心。
ザ・マスター」。ポール・トーマス・アンダーソンは昔DVDで観た「ブギーナイツ」の良さがイマイチ分らず、その後縁遠くなっていたのですが、サイエントロジーを題材にしている、というのに惹かれて興味本位でチャレンジ。

とはいうものの、こちらの期待ははぐらかされ、新興宗教の教義やありよう等は焦点ではなく、主人公(ホアキン・フェニックス)と周囲の人々との関わり様、感情の機微をまるでジャズのアドリブのように演者にセッションさせ、それをカメラに焼き付けました…という体裁。ホアキンの演技は熱演というより「この人大丈夫か」と痛ましさを感じるほどで、余裕が感じられないのが観ている側として辛かった。

65mmによる撮影は美しく、特に海のシーンには魅入られましたが、テーマを自分自身の意識・知識・感情とうまく重ねることができなかったこともあり、その日の天気(大雨)同様、どよーんとした重い気持ちだけが残ることになってしまいました。

ネットや雑誌等を見て、「観ようかな」と思った映画がこちらでかかるかというと、そうではなく、後になってから映画サイトや作品のHPで、すでに周囲50km圏外で上映中と知り、あわてて出かけることも多い。「キャビン」もそんな一編で、片道の移動時間が本編より長くなってしまった。

そうまでして出かけた甲斐があったかといえば、「ちょっと面白い」以上のものではなく、ツマらなくはないが、ここまで手間ひまかけて観る価値のあるものとも思えないのが、決して熱心な映画ファン(ホラー関係は特に)とはいえない自分にはツライところです。コスパみたいなことは考えたくないし、「DVDで充分」とも言いたくないんだけれど。

映画の世界観に少し得心が行かなかったのですが、くろばくさんの批評を読んでスッキリしました。感謝です。

そんなこんなで4月に観た4本のうち新作3本は県外に出かける羽目に。自分程度のレベルではそんなにマニアックなチョイスはできないし、していないと思うんだけれど、これが現実。

「アンナ・カレーニナ」も終わるかも…と思って隣県のシネコンに駆け込んだのですが、これは少したって市内でも上映。作品のHPも追加上映はしっかりアナウンスされないこともままあって、こういうのがいちばんショック。

「エンド・オブ・ザ・ワールド」が気に入ったし、Wikipediaの肖像画が結構キーラさんでもいけそうな感じがしたので、文芸作品にもかかわらずトライしてみたのですが… やっぱりキーラさんはロシアって感じはしませんね。

とはいえ、ジュード・ロウはなかなか巧く演じていたし、舞台装置の移動を模した場面転換等、現代的なテンポで進むので、文芸作品というよりエンタテインメントとして、気楽に観ることができました。

2013年11月4日月曜日

男はつらいよ 超大作(寅次郎恋歌)

左が東京、右が大阪のもの。ともにB6二つ折り。
東京では一般封切直前の12月24日まで上映されています。
前回のエントリー「007/ゴールドフィンガー」のリバイバルを2週間、と書きましたが、日比谷映画が2週間で、同時に封切った新宿プラザは4週間、日比谷映画を継いだ渋谷宝塚と池袋劇場は2週上映していましたので追加報告。
東京版の中面より。松竹の期待が
伝わります。大阪版も同じ文章
(「超大作」のまま)で掲載。

さて、「ウエストサイド物語」「ある愛の詩」のエントリーがらみで新聞縮刷版をダラダラとめくっていたところ見つけたのが「男はつらいよ 寅次郎恋歌」のロードショー告知。Wikipediaでは1971年12月29日公開となっていますが、これは松竹系の一般封切の公開日(同時上映は「春だドリフだ 全員集合!!」)で、実際には11月20日に松竹洋画系で一本立てで先行ロードショーされています。

当時の新聞広告には「『家族』『影の車』『人間の條件』や『ある愛の詩』でおなじみの丸の内ピカデリーで日本映画最初の喜劇ロードショー!」(11月5日付)「やったぜ寅さん!明日より丸の内へ進出!」(11月19日付)といったコピーが踊り、松竹の力の入れようがうかがえます。寅さんといえば、自分には「盆と正月」の定番、というイメージだったのですが、この時期(70、71年)までは年3作製作しており、この第8作がその定番=「更なる高み」への挑戦、松竹や山田監督にとっての大一番だったことが、このロードショー版のチラシの文章からもひしひしと感じられます。公開初日にはプレゼント付のアンケートも実施しており、松竹も客層が気になっていたのではないでしょうか。

結果は大成功、前作(奮闘篇)の動員92万6千人(これも充分凄いですが)から、一気に(一般公開とのトータルで)148万1千人まで客足を伸ばし、空前絶後のシリーズ映画としての地歩を固めた作品となりました。当時は大映が新作映画の製作をしないことを発表した直後(同年12月に破産)で、松竹としてはこの結果に安堵したのでは。
カラーのB5版
チラシファンとしてはこの東京版の「超大作」表示、正式タイトル決定前だから仕方がないとはいえ、一瞬「第1作では?」と錯覚させる罪作りな品。いまだに第1作としてオークションに出品するのを見かけますので、困ったものです。それにしても70年代の松竹作品には「超大作」という文字をよく見かけますが、「砂の器」や「八ツ墓村」あたりならともかく、「男はつらいよ」や「幸福の黄色いハンカチ」あたりも超大作っていうのはなぁ。気持は分かりますが。

「男はつらいよ」のチラシはこの第8作より前の作品群のハードルが異常に高く、特に初期の数作は老舗のショップでも扱ったことがないという話を聞きます。007のように「どんなものかは知っているけれど高くて手が出ない」のではなく、「そもそもモノがあるかどうか分らない」というレベル。8作以降でも地方版、特に80年代の関西版・民音版の二色刷りのチラシは人気が高く、こちらも集めるのは結構大変。これに「寅さんまつり」やタイアップも追いかけていくと、まさに「コレクターはつらいよ」に。さすが国民的映画ならではです。

2013年10月20日日曜日

007ゴールドフィンガー/女王陛下の007(セットチラシ版)

ダラダラと続けているユナイトマークの話、007シリーズも外せないとは思うものの、コネリーボンドの初版は「ダイヤモンドは永遠に」しか持っていないようなレベルですので、セットチラシについて少々。

はじめて映画館で観た007、「ユア・アイズ・オンリー」の前売特典が全12作のチラシセット。やっぱり…という感じの再版ものでしたが、当時は嬉しかったものです。

それでも気になったのが「ゴールドフィンガー」と「女王陛下の007」。「ゴールド…」は手持ちのリバイバル版とはデザインも裏も異なるし、「女王陛下」は全体にボケていてかなり怪しい作り。

「ゴールド…」についてはいまだに正体が分らないのですが、ひとついえるのはセット版のチラシはユナイトのロゴが「ユア・アイズ…」当時使われていたものと同じ(「屋根の上のバイオリン弾き」のエントリーで紹介した1976年4月以降に使用)ということ。「ゴールド…」のリバイバルは1971年7月。「追跡者」の不振のリカバリーでメインの日比谷映画はわずか2週間の上映(他館もあわせれば4週間)で、それ以降は未確認ですが、少なくともセットチラシのデザインがこの時期に出たということはあり得ない、ということになります。ロゴマークを古いままやり過ごすことはできても、未来のマークが過去にさかのぼることはない訳で。後は76年4月以降に公開されたか…ということになりますが、「二度死ぬ」のリバイバルが1976年6月なので、二本立として上映された可能性もゼロではないものの、今のところそれらしき情報は発見しておりません。

さて、「女王陛下の007」ですが、表は画面では見えにくいかもしれませんが、イラストの右隅(「女王陛下の」の「の」の右あたり)に「映倫」のマークが入っています。メジャー系のチラシに映倫マークが付いていることはほとんどないので、これは大方の予想どおり、初公開時のポスターを縮小したものでしょうね。ユナイトのTマークも右側ですし。

裏については、ルイ・アームストロングが故人になっている(1971年7月6日没)点やテリー・サバラスについて「刑事コジャック」(日本では1975年9月放映開始)に触れている点からみて、初公開の文面ではないな、と分ったものの、ではリバイバルかといえば、一時期ユナイトのラインナップに載ったことはあるようですが、キネ旬や映画年鑑にはリバイバルの形跡はなし。ネットに「テレビ初放映(1979年4月)にあわせてプリントが焼かれ、二番館に配給された」という情報があったので、当時の雑誌を調べてみたところ、確かに1979年1月から4月にかけて全国の名画座で上映されていたようです。同年6月辺りで他のシリーズ旧作の上映も止めているよう(違っていたらゴメンなさい)なので、観た人は少ないかも。

裏面の元ネタはなんだろう…と、ずっと疑問に思っていたのですが、つい最近になって「ロードショー」の1978年1月号の付録「007シリーズ全10作チラシ・コレクション」にこれと同じものが出ていることを発見。「私を愛したスパイ」公開時に作られたものですから、付録とはいえ名古屋で「ムーンレイカー」公開記念で配布されたのよりもさらに前の話ですね。付録の複製チラシは当時は興味がなったし、チラシを集め始めたのは78年のGW以降だったので、盲点でした。

こちらでちょっとまとめてみましたが、セット版「女王陛下」裏面の謎の黒枠もこの付録の裏面とピタリとはまるので、これが元ネタのような気がしてならないのですが、これより古いネタをご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示いただけますと、嬉しいです。「ゴールドフィンガー」の元ネタ情報もぜひお願いします。永年の疑問でして…

※2013.11.4追記 当初「ゴールドフィンガー」のリバイバルを2週間、と書きましたが、日比谷映画が2週間で、同時に封切った新宿プラザは4週間、日比谷映画を継いだ渋谷宝塚と池袋劇場は2週上映しておりました。

2013年9月29日日曜日

訂正とか画像の追加とか。

♪あやまちな~んてぇ、誰にもあ~るわぁ…
シンシアの歌声が心地よい季節、またしても訂正であります。
ごめんなさい。

「小さな恋のメロディ」のエントリー中、TYチェーンでの「初恋」との二本立て上映を1972年4月29日より1週間、と記述していましたが、実際には3月18日に渋谷地球座、上野スター座、自由が丘東宝、八幡スカラ座、吉祥寺スカラ座、川崎スカイ、25日より新宿京王名画と相鉄文化劇場、翌月1日に池袋スカラ座と王子日劇で公開されていました(千葉京成でもチラシが出ていたように記憶していますが、こちらの時期は不明)。

この時期の上映は新聞縮刷版の広告を頼りに調べているのですが、70年代に入るとTY系の二番館は二行程度の上映時間の広告(ほぼ毎日の朝刊に掲載)が出なくなっており、公開前日に出る夕刊広告で判断するしかありません。「小さな恋…」については江東リッツの上映期間を調べる流れで、二行広告ばかり見てしまい、夕刊広告を見落としてしまった次第。事実としては4月29日より1週間、渋谷文化やテアトルダイヤ(池袋)、有楽シネマ(ここのみ「ひまわり」と二本立)で上映されているのですが、これはあくまでTY系上映後のムーブオーバーのようです(TY系の上映は必ずしも夕刊広告が出ているとは限らないので、現時点では上映期間の掲載はしません)。

それにしても、つくづく感じたのがこの時代の恋愛・青春映画の人気ぶり。考えてみれば人口比率に高いボリュームを占める「団塊の世代」が20代前半だった訳で、そりゃあデートには絶好のアイテムだったのでしょうね。

あわせて、ジャクリーヌ・ササール様アヌーク・エーメ様の出演作、再版チラシ(オーパーツ)についても画像を追加いたしました。

以前に比べますと、更新スピードが大きく落ちており、そのうえ誤りも…と、散々な状況ですが、調べたいこと、書きたいことはまだまだありますので、懲りずに続けていく所存です。誤りは今後もどんどん修正していきますので、過去のエントリーも含めて気づいた点がありましたら、コメント欄やメールにてご指摘いただけますと嬉しいです。今後ともよろしくお願いします。

ウエスト・サイド物語(リバイバル)

ユナイトのリバイバル考察の続き。
「屋根の上…」のリバイバルの際、マークの修正がされていなかったことを書きましたが、「ウエスト・サイド物語」も確認してみたところ、上映方式の表示の変更はしていても、70年代のリバイバルのユナイトマークの修正はされていませんでした。「卒業」は結構きちんと手を入れているのに、何故でしょうか?

ともあれ、完全ではないのですが、69年以降のリバイバル公開のチラシをこちらにまとめてみました。初版もいつかは手に入れたいのですが、こちらは人気が高くなかなか困難であります。

画像は運よく手に入れたユナイトのシネ・サークル広報誌「UA CINE MATE」の創刊号。69年のリバイバルにあわせて「ウエスト・サイド物語」の特集が組まれています。

上映日数511日、入場人員1,524,849人(当時の名古屋市の人口に匹敵)という大記録を達成した丸の内ピカデリーの元支配人尾ヶ井武氏が手記を寄せているのですが、当初は年の暮れ(1961年12月23日)の公開で出足は決してよくなかったが、口伝えで雪だるま式に伸びていったとか。最初の1週間がピークになっている当節の興行とはずいぶん趣が違いますね。ロバート・ワイズ監督が来日した折、いかに観客が熱狂的だったかの話を伝えたところ、「わたくしは『ウエスト・サイド物語』をみた日本の多くのファンのひとりひとりに、いま握手したい気持ちです。でも、そうしたら、これから一年も日本に滞在しなければなりませんね」と、暖かな微笑を浮かばせながら答えたそうです。

2013年9月14日土曜日

屋根の上のバイオリン弾き/チキ・チキ・バン・バン(76R)

70年代のリバイバル上映に同一デザインの使い回しが多いことは、「卒業」「荒野の七人」のエントリーで書きましたが、見分けるポイントの一つが配給会社のロゴマーク。

ユナイト映画も60年代後半からロゴがいろいろ変わっています。自分は70年代後半から映画を観始めたので、どうもユナイト映画はこのマークがついていないとユナイトっぽさを感じないのですが、この”T”をかたどったマークは当時の親会社、トランスアメリカ社のものでユナイトそのものとは無関係。

当時のチラシを確認しますと、このTマークが右から左に移ったのは1973年7月公開の「007死ぬのは奴らだ」あたりからのようです。

とはいえ、リバイバル作品の場合、この修正が必ずしも徹底されていなかったよう。「屋根の上のバイオリン弾き」(初公開は1971年12月)は76年上映時(縦型のデザイン)は左にありますが、80年の上映時は初公開のものをそのまま流用したせいか、マークが右のままです。この時の上映状況を考えると、急遽決まった感じも受けるので、封切時の版下をそのまま使ってしまったのかもしれません。「屋根の上…」については再版ものもありますので、こちらにまとめてみました。

分らないのが「チキ・チキ・バン・バン」のリバイバルで、テアトル東京で公開された時(1976年3月)はとっくにTマークが左にあるべきなのになぜか右に。他の地区の公開(70㎜マーク)は左になっています。なぜこの時期にこのロゴが使われたのでしょうか。前からリバイバルを準備してチラシだけ作っていたとか?

謎といえば謎ですが、どうでもいい話ですよね。

この際なので、さらに細かい話をしますと、トランスアメリカ社についての表示は76年4月頃より、”Entertainment from Transamerica Corporation”から”A Transamerica Company”に変更されています。調べてみると、コーポレーションとカンパニーの違いはあるようなのですが、英語にはとんと疎い自分にはよく分りませんでした。
「チキ・チキ・バン・バン」(1976リバイバル)
チラシ右下部のユナイト社ロゴ。
上がシネラマ版、下が70㎜上映版です。
日本も最近は合併が増えて、足し算みたいな社名の会社が目立つようになりましたが、企業買収が恒常化しているあちらではよくある変更なのでしょうね。

トランスアメリカ社については例の「天国の門」(1981年公開)の問題が起きてから、ユナイトからは手を引いており、「屋根の上…」の1982年上映時のチラシには同社の表示は消えています。

2013年8月31日土曜日

殴り込み海兵隊/壮烈第一海兵隊・向う見ず海兵隊

写真の流用について、一本発見しましたので、kussyさんところへ投稿したのを機にこちらで。

殴り込み海兵隊」は1959年製作・公開作品ですが、翌年日本で公開された「向う見ず海兵隊」の中面に「殴り込み…」の表紙の写真が使われています。

「向う見ず…」は1952年製作なので、「殴り込み…」の方が流用している可能性もありますけれどね。「殴り込み…」の兵士の右手に持っているのはカメラのようなので、「向う見ず…」の主人公が報道班員ということで写真を使ったのかもしれません。

配給は両方とも日本アライド・アーチスツ。アライドというと、「昼下りの情事」(日本での配給は松竹=セレクト)の制作会社という印象しかないですが、この種の小品をいろいろ作っていたようです。

話は逸れますが、流用で最近どうもひっかかったのが「少年H」の特報の音楽。「午前十時」をずっと観ていた身にとっては、もともと予告等に使われる曲らしいですが、引いてしまいます。

まぁ某リメイク作品での「アカデミー賞受賞作品」と、ドーンと出る予告も相当なものでしたけれどね。

2013年8月25日日曜日

明日に向って撃て!

















ようやく少し涼しくなりましたが、気を取り直して再開いたします。

それにしてもエントリーのペースが遅くてすいません。
昨春「ディア・ハンター」のエントリーのコメントでくろばくさんから古澤利夫の回顧録「明日に向って撃て! ハリウッドが認めた!ぼくは日本一の洋画宣伝マン」を教えていただき、その感想がてら「明日に向って撃て!」をエントリーしようと思いつつ、時間ばかり過ぎてしまいました。今年の初めにチョコさんのブログにも「そのうち」とか書いたのに、何やってんだか。

中面。銀座松坂屋も今年6月末に閉店してしまいました。
で、先にチョコさんの疑問に触れておきますと、上の変形版のチラシは右下に「鑑賞券引換クーポン」とあり、中面には松坂屋のバーゲンご来場の方にクーポンプラス400円で前売券と引き換える旨書かれています。前売券も400円ですが、日比谷映画の前売発売は公開1週間前からだったようなので、先行販売の意味合いが強いかもしれません。

当時の新聞広告には「FOXスクリーンフレンドの会員は前売券はこちらで」と、引換券の交換場所と同じタバコ店での購入を呼びかけています。このチラシに似たつくりの試写状がありますが、同じくスクリーンフレンドがらみと思われる「魚が出てきた日」の変型チラシにも似た形状の試写状がありるので、ひょっとすると、このチラシも(シネサークルとしての)スクリーンフレンドと関係があるのかもしれません。とりあえず70年代の本作品のチラシをこちらにまとめております。

古澤氏の著書ですが、氏の博覧強記ぶりは凄いですし、おもしろいエピソードも数々あって、興味深く読むことができましたが、ジブリの社内誌の連載だからかもしれませんが、ご本人の言いたいことの語りおろしだけで終わってしまっていて、聞き手の突込みの甘さに少々不満を感じます。これだけの人なのにもったいない。

別に山田宏一との軋轢やスターウォーズの公取委勧告について聞け、とは言いませんが、興行的な成功作の話だけではなく、日本では苦戦したメル・ブルックスについての苦労話とか、別名義でかかわった初期の角川作品の宣伝についても知りたいところです。

さて、この本を読んでいるあいだ、ず~っと頭の中で鳴り響いていたのが、その昔土曜日の夕方にテレビ朝日でやっていた「ハリウッド映画大集合」という番組のオープニングのファンファーレ。「ハリウッド映画」といいつつ、紹介されるのは制作したFOXの作品ばかりで、「ワシがハリウッドの歴史を作った」といわんばかりの内容に、時々「そりゃぁムリ」と突っ込みつつも、ビデオなどなかった時代、結構楽しんで観ていた記憶があります。

今ではすっかり忘れられた存在らしく、ネットで調べてもほとんど情報がありませんでしたので、自分なりに放映リストを調べてこちらにまとめてみました。正確さに欠けるきらいがありますが、覚えている方のご参考まで。

2013年8月10日土曜日

3月に観た映画(後編)

周回遅れがヒドくなる一方ですが、備忘録、備忘録。

エンド・オブ・ザ・ワールド」。久々にキーラさんが観たいなぁ、と思って出かけたのですが、これは行ってよかった。

監督さんは30代の方なのに、何だこの選曲センス。タイトルから「17歳のカルテ」で印象的な使われ方をした、スキータ・デイヴィスの歌でも使っているのかと思いきや、さにあらず。冒頭のビーチ・ボーイズの「素敵じゃないか」の皮肉いっぱいな使い方(しかも後でパンフを読んだら本当のスティーヴ・カレルの奥さんが演じている)でのせられ、大滝詠一の元ネタである、ウォーカー・ブラザース、で、極めつけはハープ・アルバートの「ジス・ガイ」と来たもんだ。この曲大好きで、昔よく聴いたなぁ…すっかり別人になったウィリアム・ピーターセンの客演も嬉しかったです。

レコードの音の厚みのよさをしみじみと語る映画をブルーレイ上映で鑑賞するのはちょっと残念ではありますが、昭和のSF少女マンガを思わせるストーリーも心地よく、すっかりゴキゲンな気分で映画館を後にしました。地球が滅ぶ話ですが。

クラウドアトラス」。トム・ハンクスとハル・ベリー主演、と聞くと、普段ならつい敬遠してしまうのですが、六重構造のストーリーってヤツに惹かれてチャレンジ。

何といいますか、六色の割子蕎麦を食べているような映画でして、それぞれの蕎麦に違う味付けをしているものの、一皿としては足りないし、全体としては似た印象で、満足感もあまりなかったなぁ、と。エンディング・クレジットのひとり6役のネタばらしは面白いけれど、役の割り当てに意味があったとも思えないのがつらいところ。

それでも「ジャンゴ」より退屈せずに長時間を観通せたのは、よくも悪くもウォシャウスキー監督の「軽さ」があってのような気がします。この手の題材を、日頃縁遠い「巨匠・異才」の監督さんが仕上げていたら、評論家絶賛の傑作になるのでしょうが、果して自分が観通せる作品になったかどうか。

劇場版 魔法少女まどかマギカ」。この種のアニメはまったく知識がないのですが、ネットで評判を知って、前後編のイッキ観に挑戦。

合計4時間近くですが、一話20分×全12話と考えると、総集編というより繋ぎ目なしのリミックス一挙上映会なのかも。一本の作品として構成を大きく手直しをせずに、エピソード順に淡淡と話が進む感じの展開。

お話は「ポストモダンやねぇ(←意味不明)」.という感じで、若ければ、ひょっとするとハマってしまうのかもしれない内容でしたが、アニメ特有(?)のお約束演出(キャラクターや背景設定の造形)に不慣れなオッサンにとってはギャップは否めず、社会科見学しているような感覚からは抜け出せませんでした。後半の時間SF調はなかなか魅力的なんだけど、その理屈を支えるのが「魔法」だもんなぁ。

フライト」。どうも最近のハリウッド作品は、SFX工房(という言葉も死語かもしれませんが)のプレゼンかよ、と思うような派手なCG・合成演出に逆にシラけてしまうのですが、さすがにゼメキスのような百戦錬磨の方だと、さじ加減を心得ている感じで、デンゼル機長の離れ業飛行(とその後)の見せ方とかは上手いなぁ、という言葉しか出てきません。

久々にその手の特撮とドラマをきちんと融合させたハリウッド大作を観た、という満足感を味わいました。この作品や5月に観た「リンカーン」と比べると、「アルゴ」はヒヨっこだよなぁ。

事件の真相を描ききっていないという批判もありますが、自分はデンゼル・ワシントン演ずる機長の深層心理を中心に映画を観ていたので、割と後半の展開にもすんなり納得できました。まぁ、あの宣伝文句だと、白黒つけろよ、という意見もわかりますが。ただ、宗教面でも深い解釈ができそうな演出がされていましたが、その辺はちょっとわからないです。

同僚の子持ちのCAの女優さん、どっかで観たことあるな、と思って後で調べたら、「ディアボロス」の悪魔の弁護士ビルの奥様連中のお一人でした。

2013年7月20日土曜日

スクリーン・ビューティーズVol.1 オードリー・ヘプバーン

9月28日より新宿ピカデリー他全国で。
「午前十時の映画祭」の影響か、旧作の特集上映も少しづつ増えているよう。オードリーも久々に特集上映が組まれるようで嬉しい限り、といいたいところですが、当地に来る予定はなし。3本とも観ているので、あきらめもつくのですが、「パリの恋人」は大画面で再会したかったなぁ。

オードリーは80年代後半から90年代前半あたりのヘラルド・クラシックスで何度も上映されていたので、油断して観ていないままの作品が何本もあって、今の時代、DVDを借りれば、フォローは余裕で可能なのですが、どうも家で映画を観るのは落ちつかない人間なので、「いつか映画館で…」と思ってそのままになってしまっております。まぁ、当節のシネコンはビスタのスクリーンに上下の黒味を残してシネスコ作品を上映するというレターボックス上映(?)とかを平気でやってくれるので、映画館も家のテレビみたいになってきていますが。

ボヤキはこれくらいにして、上述のヘラルドによるオードリーの特集上映の手持ち分をこちらでちょっとまとめてみました。あくまでオードリーの作品のみの特集上映で、これだけでも軽く20種類を超えるんだから、やはり大したものです。

2013年7月16日火曜日

愛情物語(三越文化劇場版)

 東京、大阪、名古屋、札幌と比べると情報が極端に少ないのが神戸の「三越文化劇場」ですが、今回別のネタを調べるため「プレイガイドジャーナル(ぷがじゃ)」のバックナンバーを図書館で眺めていたところ、少しだけ分ってきたので、サクッとご報告。

どうも映画を上映していたのは1982年4月から84年1月末までのようで、他の劇場より活動期間は短かったようです。といいますか、三越神戸店自体が84年2月に閉店してしまっているので、仕方ないところ。

ひとまずラインナップをこちらにまとめてみましたが、「ぷがじゃ」は月刊誌でしたので、情報の正確性は万全ではなく、例えば83年10月は「マイ・フェア・レディ」になっているのですが、実際には「アラビアのロレンス」が上映されている…といった感じ。あくまで暫定版ということで、ご了承ください。

自分が持っているのは画像の2作のみ。この2種ともB5二つ折り(「イノセント」はそれよりさらに小さい)になっているのですが、不思議なことに二つ折りでありながらなぜか裏面は無地になっています。

配布が通常と異なっていたのかな?何かとの折り込みだったとか?もしご存知・ご記憶の方がいらっしゃいましたらご教示いただければ幸いです。

秘蔵!洋画チラシ全集」には上述の「アラビアのロレンス」と「普通の人々」が掲載されているのですが、それ以外は見かけたことがありません。他には出なかったのでしょうか。

ラインナップを見ると、出ていたらいいなぁ…と思う作品(「ピクニック」とか)もあったりするのですが、実際はどうだったのか。発掘(?)を期待したいところであります。

2013年7月9日火曜日

3月に観た映画(前編)

ぼやぼやしていると、何を観たかも忘れそうなのでメモ。

世界にひとつのプレイブック」。「これが亀田家を舞台にしていたものなら感動したのか?」と自問自答しつつも気に入った「ザ・ファイター」の次がこれだと、どうも「グッドフェローズ」の後の「カジノ」というか、焼き直し感が拭えません。同じテーマを追求し続ける作家ということなのか。

終盤のダンス・コンテストは、前作のボクシングに比べると、目指すのが「及第点」という微妙な線で、観る側としてはポイントが掴めず、それを補うために用意した(?)「コンテストにちゃんと出場するのか」というスリルも、主人公のトラウマ歌曲「マイ・シェリー・アモール」と同様、中途半端。家族劇という面では、デ・ニーロがデ・ニーロにしか見えず、家族という感じがしなかったしなぁ。

エンディングの鮮やかさは見事だけれど、全体的には世間の評判ほどとは思えませんでした。「薬を飲むと太る」とか、個人的にグサッと来る台詞・描写もいくつかあったのですが。

ダイ・ハード ラスト・デイ」。ビル→空港→街→全米、とスケールのインフレが続き、さすがに次は宇宙じゃねぇよな、と思ったら、海外という穏当な展開。

とはいえ海外に「出かける」となると、このシリーズの魅力である「主人公が運悪く陰謀に『巻き込まれる』(ついでに陰謀を謀る方も想定外の存在である主人公に邪魔されて狼狽する)」というパターンにならなくなってしまうのは致し方ないところ。

主人公、妻、助っ人の警官が事件によって本来の自分(と書くとクサいけれど)を取り戻すサブストーリーが第1作を傑作にしたと思っている自分にとって、今回の親子の復縁劇は好感が持てて、3や4よりは面白かったのですが、そうなるとなおのことボニー・ベデリアの不在が残念でなりません。

ジャンゴ 繋がれざる者」。流れ者のガンマンが凄腕で…という設定はこの種の映画の定番ですが、このジャンゴのように「奴隷でした」というのを見せてしまうと、「凄腕になるまで」が必要なんじゃないの?と思ったのは俺だけか。ジェイミー・フォックスも「キャプテン」のイガラシくんみたいな顔してるんだから、特訓くらいせぇよ。最後の方で「すごい天才なんだぜ」みたいな台詞があったような気もしたが、いい訳臭い。

アメリカの客ならビールとポップコーン片手に血しぶきと会話の丁々発止(ディカプリオほか悪役陣は良かった)を延々と楽しめるのかもしれませんが、KKKのくだりがモンティ・パイソンの日本人には面白さがつかめない会話スケッチみたいに見えた自分には、ダラダラ長いだけの作品で、これなら家でマカロニのDVDを2本見たほうがいいや、というのが正直な感想。奴隷制批判の描写で褒める向きもあるようですが、銃をあれだけ肯定的にぶっ放しておいてそんなこといわれても…です。

いまひとつ満足できない作品が続いていたのに歯止めをかけてくれたのが「アルバート氏の人生」。歴史の空気と人生の重荷を感じさせてくれる出演者の芝居、土地と生活を感じさせてくれる情景描写。これはしみじみ良かったです。

パンフを読むと、もともとはグレン・クロースが新人の頃に演じて名を上げた舞台劇で、映画化は念願の企画だったそう。思い出してみれば、初期の「再会の時」や「ガープの世界」といった作品でもクセのある役どころをしていたので、この芝居での評価がオファーにつながっていたのかなぁ、と思ってみたり。

mamiyaさんの紹介がなかったら、間違いなく「あぁ、ジェンダーものね。関係ねっす。」となっていたところでした。不明を恥じつつ感謝です。