おことわり

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2013年7月20日土曜日

スクリーン・ビューティーズVol.1 オードリー・ヘプバーン

9月28日より新宿ピカデリー他全国で。
「午前十時の映画祭」の影響か、旧作の特集上映も少しづつ増えているよう。オードリーも久々に特集上映が組まれるようで嬉しい限り、といいたいところですが、当地に来る予定はなし。3本とも観ているので、あきらめもつくのですが、「パリの恋人」は大画面で再会したかったなぁ。

オードリーは80年代後半から90年代前半あたりのヘラルド・クラシックスで何度も上映されていたので、油断して観ていないままの作品が何本もあって、今の時代、DVDを借りれば、フォローは余裕で可能なのですが、どうも家で映画を観るのは落ちつかない人間なので、「いつか映画館で…」と思ってそのままになってしまっております。まぁ、当節のシネコンはビスタのスクリーンに上下の黒味を残してシネスコ作品を上映するというレターボックス上映(?)とかを平気でやってくれるので、映画館も家のテレビみたいになってきていますが。

ボヤキはこれくらいにして、上述のヘラルドによるオードリーの特集上映の手持ち分をこちらでちょっとまとめてみました。あくまでオードリーの作品のみの特集上映で、これだけでも軽く20種類を超えるんだから、やはり大したものです。

2013年7月16日火曜日

愛情物語(三越文化劇場版)

 東京、大阪、名古屋、札幌と比べると情報が極端に少ないのが神戸の「三越文化劇場」ですが、今回別のネタを調べるため「プレイガイドジャーナル(ぷがじゃ)」のバックナンバーを図書館で眺めていたところ、少しだけ分ってきたので、サクッとご報告。

どうも映画を上映していたのは1982年4月から84年1月末までのようで、他の劇場より活動期間は短かったようです。といいますか、三越神戸店自体が84年2月に閉店してしまっているので、仕方ないところ。

ひとまずラインナップをこちらにまとめてみましたが、「ぷがじゃ」は月刊誌でしたので、情報の正確性は万全ではなく、例えば83年10月は「マイ・フェア・レディ」になっているのですが、実際には「アラビアのロレンス」が上映されている…といった感じ。あくまで暫定版ということで、ご了承ください。

自分が持っているのは画像の2作のみ。この2種ともB5二つ折り(「イノセント」はそれよりさらに小さい)になっているのですが、不思議なことに二つ折りでありながらなぜか裏面は無地になっています。

配布が通常と異なっていたのかな?何かとの折り込みだったとか?もしご存知・ご記憶の方がいらっしゃいましたらご教示いただければ幸いです。

秘蔵!洋画チラシ全集」には上述の「アラビアのロレンス」と「普通の人々」が掲載されているのですが、それ以外は見かけたことがありません。他には出なかったのでしょうか。

ラインナップを見ると、出ていたらいいなぁ…と思う作品(「ピクニック」とか)もあったりするのですが、実際はどうだったのか。発掘(?)を期待したいところであります。

2013年7月9日火曜日

3月に観た映画(前編)

ぼやぼやしていると、何を観たかも忘れそうなのでメモ。

世界にひとつのプレイブック」。「これが亀田家を舞台にしていたものなら感動したのか?」と自問自答しつつも気に入った「ザ・ファイター」の次がこれだと、どうも「グッドフェローズ」の後の「カジノ」というか、焼き直し感が拭えません。同じテーマを追求し続ける作家ということなのか。

終盤のダンス・コンテストは、前作のボクシングに比べると、目指すのが「及第点」という微妙な線で、観る側としてはポイントが掴めず、それを補うために用意した(?)「コンテストにちゃんと出場するのか」というスリルも、主人公のトラウマ歌曲「マイ・シェリー・アモール」と同様、中途半端。家族劇という面では、デ・ニーロがデ・ニーロにしか見えず、家族という感じがしなかったしなぁ。

エンディングの鮮やかさは見事だけれど、全体的には世間の評判ほどとは思えませんでした。「薬を飲むと太る」とか、個人的にグサッと来る台詞・描写もいくつかあったのですが。

ダイ・ハード ラスト・デイ」。ビル→空港→街→全米、とスケールのインフレが続き、さすがに次は宇宙じゃねぇよな、と思ったら、海外という穏当な展開。

とはいえ海外に「出かける」となると、このシリーズの魅力である「主人公が運悪く陰謀に『巻き込まれる』(ついでに陰謀を謀る方も想定外の存在である主人公に邪魔されて狼狽する)」というパターンにならなくなってしまうのは致し方ないところ。

主人公、妻、助っ人の警官が事件によって本来の自分(と書くとクサいけれど)を取り戻すサブストーリーが第1作を傑作にしたと思っている自分にとって、今回の親子の復縁劇は好感が持てて、3や4よりは面白かったのですが、そうなるとなおのことボニー・ベデリアの不在が残念でなりません。

ジャンゴ 繋がれざる者」。流れ者のガンマンが凄腕で…という設定はこの種の映画の定番ですが、このジャンゴのように「奴隷でした」というのを見せてしまうと、「凄腕になるまで」が必要なんじゃないの?と思ったのは俺だけか。ジェイミー・フォックスも「キャプテン」のイガラシくんみたいな顔してるんだから、特訓くらいせぇよ。最後の方で「すごい天才なんだぜ」みたいな台詞があったような気もしたが、いい訳臭い。

アメリカの客ならビールとポップコーン片手に血しぶきと会話の丁々発止(ディカプリオほか悪役陣は良かった)を延々と楽しめるのかもしれませんが、KKKのくだりがモンティ・パイソンの日本人には面白さがつかめない会話スケッチみたいに見えた自分には、ダラダラ長いだけの作品で、これなら家でマカロニのDVDを2本見たほうがいいや、というのが正直な感想。奴隷制批判の描写で褒める向きもあるようですが、銃をあれだけ肯定的にぶっ放しておいてそんなこといわれても…です。

いまひとつ満足できない作品が続いていたのに歯止めをかけてくれたのが「アルバート氏の人生」。歴史の空気と人生の重荷を感じさせてくれる出演者の芝居、土地と生活を感じさせてくれる情景描写。これはしみじみ良かったです。

パンフを読むと、もともとはグレン・クロースが新人の頃に演じて名を上げた舞台劇で、映画化は念願の企画だったそう。思い出してみれば、初期の「再会の時」や「ガープの世界」といった作品でもクセのある役どころをしていたので、この芝居での評価がオファーにつながっていたのかなぁ、と思ってみたり。

mamiyaさんの紹介がなかったら、間違いなく「あぁ、ジェンダーものね。関係ねっす。」となっていたところでした。不明を恥じつつ感謝です。

2013年6月29日土曜日

ある愛の詩/誰がために鐘は鳴る(70年代R)

変形二つ折りで左が初公開(1971.3)、右がリバイバル(1976.5)
表だけだと製作・配給会社名以外の違いしかありませんが、
裏面の解説は異なっており、なにより主演のアリ・マッグローの
プロフィールで、伴侶がロバート・エバンス(「くたばれl!ハリウッド」)
からマックィーンに変わっているところが少々意地悪なお楽しみ。
チラシ大全集の揚げ足取り(?)をもう少し。

「以前から怪しいと思っていました。」とか書くと、「お前は佐藤藍子かっ」と突っ込まれそう(←今どきそれはないか)ですが、kussyさんの掲示板でチョコさんが「ある愛の詩」を投稿されたのをきっかけに調べてみたところ、大全集の71年にあるチラシは76年のリバイバル時のものと判明。

決め手はCICのマーク。「シェーン」でも書きましたとおり、日本でCICが発足したのが、1970年7月。

CICのマークが新聞広告に登場するのが「ロンメル軍団を叩け」(1971年6月公開。チラシはマークなし)あたりからで、その間の「1000日のアン」「真昼の死闘」「お前と俺」「地球爆破作戦」等々と同様、「ある愛の詩」(1971年3月公開)の初版チラシにマークはありえない、ということになります。

というか、「ある愛の詩」初公開版は、CICはおろかパラマウントの名前すらないんですね。翌年のアンコール公開も丸の内ピカデリー版(1971年9月)はCICとパラの名前が劇場名の刷り込み欄にの片隅にあるのですが、2ヵ月後のムーブオーバーの新宿ロマン劇場(当時はST系)版では記載なし。いい加減なものです。
上が1971.1.15、下が1976.3.13公開。

いい加減、ということではないのですが、これで思い出したのが、「誰がために鐘は鳴る」(元々は”為”ですがこの時は”ため”)の71年1月のリバイバル。

この作品、パラマウントの製作ですが、1958年にTV放映にからんで版権が当時ユニヴァーサルの親会社だったMCAに売却されています。そのせいか、このチラシにはパラマウントとCICに並んで「MCAレコード」というクレジットが入っています。入手した当初はサントラ盤の表示だと思っていたのですが、記憶が確かであれば、この映画の当時のサントラ的音源は、作曲担当のヴィクター・ヤング自身の楽団による演奏もののみで、シングルカットもなかったはず。権利者としての表記なのかなぁ、ちょっと謎です。ご存知の方いらっしゃいませんか。

さすがにややこしいと思ったのか、5年後のリバイバルではCIC配給のみが表記され、パラマウントもMCAも出てきません。こういうのを見ると、映画は作品であると同時に商品なのだなぁ…と思ってしまいます。

ということで、開業当初のバタバタの痕跡が残っているCICさんですが、後々には「ロミオとジュリエット」(画像はこちら)のように、マークの位置もきちっと修正するようになっていくわけで、社内でもいろいろとやりあっていたのでしょうね。

2013年6月22日土曜日

風と共に去りぬ/王様と私(阪急プラザ劇場版)

「頭上の敵機」のエントリーの続き。
館名ハイ&ロー。裏は同じで、
裁断ミスではありません。
kussyさんの掲示板にもお詫びがてら投稿したのだけれど、「マイ・フェア・レディ」のワーナーによる最後のリバイバルもチラシ大全集は1970年の頁に載っていますが、実際に公開されたのは前年の12月。まぁ「1970年のお正月映画」だし、ネットで流通している渋谷パンテオンの上映作品リスト(おそらくさよなら興行時に出た資料からのもの)も12月公開作品が翌年扱いになっていたりするので、「こまけぇこたぁいいんだよ!」と言われりゃそれまでなんですが。

と思いつつ、めげずに本題。
風と共に去りぬ」の阪急プラザ劇場版。こちらは1972年の頁にシネラマ版(個人的にはいちばん好きなデザインであるV・リーの顔アップ)と並んで掲載されています。
で、どうも不思議に思ったのが、シネラマ版は松竹系なのにD150版は東宝系だということ。そのうちにネット時代になって、シネラマ版で松竹系の関西館名(どうとんぼり松竹座等)の画像を見かけるようになり、「西日本独占ロードショー」のうたい文句との整合性に疑念が。

ということで、GWにちょっくら図書館で当時の新聞のマイクロフィルムをガラガラ回しまくって、以前から興味のあった阪急プラザ劇場のオープン初期の上映作品をこちらにまとめてみました。

なるほど、「風」は1970年だったのね。60年代後半の東宝系のリバイバルの流れを継いだ上映だったんですな。


調べて分ったことがいくつか。「王様と私」は東京では1972年3月にテアトル銀座と新宿武蔵野館で上映されていますが、大阪ではひと足早く71年10月に上映されています。阪急プラザ版のチラシは、いかにも通常版(カラーで横)のデザインを使い回した感じがしてしまうのですが、半年も早かった…

また何度か耳にした「噂」に「阪急プラザ版の『砲艦サンパブロ』(広げるとB4横になる単色二つ折り。持っていません)が出回っているけれど、阪急プラザは『トラ・トラ・トラ!』を上映しており、時期が重なっている(1970年10月)のでアヤシイ」というのがありますが、阪急プラザの『トラ』上映は翌年9月ですので、それは誤解ですね。東京は「サンパブロ」をやらなかったし、どれも公開時期が秋に集中していたからそんな話が生まれたのかも。

余談ですが、昨年の鷹の爪団のマナーCMが「王様とたわし」だったので、今回の「午前十時の映画祭」には絶対「王様と私」が入ると思っていたのですが、入っていなくて残念。「風」や「ローマ」も好きな映画ですが、さすがに食傷気味。いろいろ指摘されている今回の「午前十時」ですが、もう少しラインナップも工夫して欲しいところじゃよ、吉田君。

2013年6月9日日曜日

シネマガイド(映画専門店)さんにリンクしました。

実家からの帰り、途中下車して西宮北口の「シネマガイド」へ。
こちらとのおつきあいはもう10年近く前。ネットの情報でお店の移転を知り、奈良から足を伸ばしてみたのがきっかけだったかな。以来、セールや懇親会等、節目節目に顔を出させていただいております。

店長さんは春先に少し体調を崩されたようで、ちょっと心配していたのですが、久々にお会いしてみると、今は元気そのものでひと安心。現在、買取りを強化すべく、画像のチラシを映画館に置いてもらうよう動いて回っているようです。置いてもらえそうな映画館がありましたら、ぜひお店にご連絡ください。

店長さんのお人柄を慕って集まる人も多く、いいお店です。電車のアクセスもいいので、関西近郊にお住まいの方はお立ち寄りいただければと思います。

なんのお役にも立てない自分ですが、とりあえずリンクをさせていただきました。店長さん、今後ともよろしくお願いします!

と、書こうと思ったのが2週間前…というくらい更新が滞っております。状況的には当面、今以上に更新は難しいかなぁ、と感じております。やはり日常を優先したいので。楽しみにして訪問していただいている方には申し訳ありませんが、ご了承願います。PC版は「更新お知らせメール」機能を追加しましたので、必要な方はお使いいただければと思います。

2013年5月13日月曜日

頭上の敵機/スパルタカス(リバイバル)

「イージー・ライダー」のエントリーで「『チラシ大全集』のリバイバル関係のデータはあてにならない」と書きましたが、これは出版当時(平成7年)の状況を考えれば無理からぬことで、Windows95がやっと出たような時代、資料の収集や確認に限界があったのは容易に想像がつきます。今なおリファレンスとして輝いている「大全集」の偉業に敬意を表しつつ、あくまで正誤表的な情報としてお読みいただければ、と。

最初に「あれ?」と思ったのは「眼下の敵」(Part1‐P.62)。未所有ですが、永年ねらっているチラシで、これは1965年11月に東急洋画部配給ででリバイバル(ミラノ=パンテオン系)された時のもの。初公開(1958年1月)はFOX配給で東京は有楽座です。大阪の南街劇場版(潜水艦を模した変形版)のチラシがオークションで人気が高いのですが、有楽座版はあるのかな。

こちらの「頭上の敵機」も同じ東急洋画部によるリバイバルで、「大全集」では1965年の頁(Part1‐P.142)に掲載されていますが、東京地区では画像にもありますが、翌年1月8日に「SOS一触即発」と二本立てで上映されたようです。同じFOX作品であるところをみると、まとめて購入・配給したんでしょうね。リバイバルは東京が先行するとは限らないので、1965年に上映されていた可能性は捨てきれないです。

こちらの「スパルタカス」も初公開の頁(Part1‐P.83)に掲載されていますが、よく見ると、ユニヴァーサル映画のマークが異なっており、初版が「総天然色」表示なのに、こちらは「テクニカラー」。裏面の文章も「2001年宇宙の旅」に触れています。

調べてみると、東京では日比谷スカラ座で1968年6月にリバイバル上映されているので、北野劇場もこの時期かと思います(正確な時期は未確認です)。ただ、自分は日比谷スカラ座版は見たことないのですが、あるんでしょうかね。

調べてみると、東京と大阪でリバイバル作品の上映時期がずれるということは、この時代あたりは案外見受けられます。その辺の話はあらためて。