1975.1.25~2.22上映 |
以前のエントリーでも書きましたとおり、70年代後半から水野晴郎は自らの配給会社「インターナショナル・プロモーション(IP映画)」を通じて往年の名作や未公開作品の上映を手がけています。中高生の頃、テレビで水野氏が司会の新作紹介の番組を観ていると、大作映画に混じって氏の配給作品がしっかり宣伝されていて、妙な違和感を感じたものです。今でいうステマかな。
当時は映画館とテレビしか選択肢が無い時代で、リバイバルや名画座はまだまだ需要があったものの、それでも観られなくなった作品もたくさんあって、水野氏の会社も(プリントや改題等の批判もありましたが)存在意義はあったように思います。
テレビではメジャーな水野氏も、映画興行の世界では独立系の悲しさか、創業当初はいろいろ苦労されていたのでは…と思わせるのがこの「カサブランカ」のチラシです。
この図柄は何度も繰り返し使われていて、どれがどれだかわからない感じですが、最近になって労音会館版を入手して、あらためてじっくり見てみると、その微妙な違いから上述の「苦労」をうかがうことができます。
1975.8.1~8.24上映 GEは黒で塗りつぶし |
いちばん最初の上映(75年1月)はチラシの右下に記された提供会社がIPだけではなく、ギャラクシー・エンタープライズ(GE)という会社も入っています。違いはそれだけではなく、裏面も重要な変更点がありました。詳しくはこちらを参照していただきたいのですが、このバージョンだけ、「この名作に続いて『汚れた顔の天使』、『脱出』、『三つ数えろ』、『マルタの鷹』など続々と登場し、今やボガート・ブームも間近にせまってきました。」とあり、公開当初はこれを機にハンフリー・ボガートの連続上映を企画していたようです。
1976.5.7~9の3日間上映 赤で塗りつぶし。塗りつぶし の無いIPマーク単独版も この時から出ています。 |
残念ながら、実際にはそのような上映が行われることは無かった訳で、半年後の8月の上映では「日本を席捲するボギーとバーグマン」で始まる、それ以降のチラシと同一の文章に差し替えられています。あわせてGE社のマークが塗りつぶされているところを見ると、この辺に企画が流れた経緯が隠れていそうです。
そいうえば後年、IPは"PLAY IT AGAIN BOGGY"と銘打って、ハンフリー・ボガートの未公開作(「大いなる別れ」「モロッコ慕情」)を配給したりしていますが、ひょっとするとこれもこの時のことが背景にあるのかなぁ、と考えたりもしてしまいました。まぁ、分からないですけれど。
で、GE社がからんだ話はもうひとつあって、それはまた次回。
2 件のコメント:
76年の5月7~9日公開のチラシを持っているのですが、こちらで所有している物はGE社が赤で消されている物ではなく、初めからGE社のロゴも社名も入ってないチラシです。館名は労音会館です。
「日本最後のさよなら特別公開!お見逃しになりますともう日本では見れません」と館名欄に印刷してありますが、この後も普通に上映しているんですよね。
渡辺屋さん、コメントありがとうございます。
返事が遅れてごめんなさい。
76年5月版、そういえば消されていたものもありました。私が持っていないだけですね。Kussyさんの過去掲示板で確認しましたので、修正しておきます。
「最後」の連発については次回で少し触れるつもりです。
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