MGMのお蔵入り作品のエントリーをアップしたところ、チョコさんより「ブロンド美女連続殺人」未公開の理由について、情報をいただきました。
1997年1月に徳間書店から発行されたムック「お宝モノ鑑定マガジン」のP45に「劇場未公開チラシ」の項目があり、「等身大の恋人」や「ザ・ハルマゲドン」「ブラック・サンデー」等と並んで紹介されています。そのキャプションに「劇場にディオ・ビジョンなる設備が公開までに造れず流れた。」とあります(当該ページの画像もいただいたのですが、さすがに誌面の掲載は見送らせていただきます)。 コメントでいただいた源頼光さんの情報もこれが元ネタかもしれません。
もっともらしい理由ですが、そもそも2台の映写機を同時に回す、というやり方自体がどうなのよ、という気がします。3台同時をすでにシネラマでやっている訳ですし。
とはいえ、自分にとってはこういうギミックというか、新方式みたいなものは非常にそそられるものがありまして(おそらく昭和50年代の東宝東和の宣伝の影響)、ショップやオークションでその手の物を見かけると、つい食指を伸ばしてしまいます。
そのひとつがこの「キネラマ誕生!」と盛大に銘打った「
大いなる楽園」。1959年製作1962年公開のソ連映画です。
キネラマ…怪しい響きがたまりません。明らかにシネラマを意識しています。内容も各地の景色を見せる観光映画というつくりで、一連のシネラマ作品と同じです。
シネラマ方式は1952年にアメリカで開発され、日本では1955年に帝国劇場で公開されています。東宝系なので、松竹が対抗してソ連製に手を出したということでしょうか。スプートニク計画vsアポロ計画に代表される冷戦の影響がここまでというか。
参考までにシネラマ第1作の「
これがシネラマだ」のリバイバル(1964年)のチラシもあわせてアップしましたので、興味のある方はぜひ比較してみてください。スピーカーの数やつなぎ目の面では後発が勝っていたようですが、イラストがどうみてもシネラマのパクリなのが哀愁を誘います。
結局、松竹系も1963年の末には「
おかしなおかしなおかしな世界」でシネラマに進出することとなり、ソ連製の新方式はこれ一作で消えてしまったようです。映画興行における浅草の地位低下と軌を一にしているような気がするのは私だけでしょうか。
あらためてチョコさん、源さんの情報提供に感謝いたします。ありがとうございました。