おことわり

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2014年11月3日月曜日

25 NIJYU-GO

25周年記念作品。主演はやはり哀川翔。
阿佐ヶ谷ラピュタの
連続上映のチラシ
今年は東映Vシネマも25周年、だそうで、このところ記念の映画出版物連続上映、と企画も目白押し。

自分はVシネマについて語る資格は全くない人間なのですが、せっかくの機会ですので、手持ちのVシネマのチラシをアップしてみます。古本屋で偶然見かけたのをきっかけにポツポツと集め始めたもので、シリーズものもろくにコンプしていない体たらくですが、お楽しみいただければと。

映画チラシコレクターからすると、1993年に「Vワールド」と称して加藤雅也とハリウッド女優の共演作を作り始めたあたりから、劇場公開とのリバーシブル(?)チラシが出始め、その一方「修羅がゆく」の1・2のように完全に劇場向けのチラシも登場、グチャグチャになっていった気がします。

こうやって並べてみますと、今なお最前線で活躍している人、映画界に活躍の場を広げた人、政界に打って出た人、行方不明になってしまった人…まさに人生いろいろ、の感が。それにしても皆さんほとんど、銃か刀を持ってらっしゃいます。

2014年6月8日日曜日

風と共に去りぬ(MGMリバイバル②)

1967.4.7日比谷スカラ座公開時のチラシ。後年使われ続けるこのイラストは60年代に数々の映画ポスターを手がけた
ハワード・タープニング(Howerd Terpning)によるもの。
61年もヒットを飛ばした「風と共に去りぬ」ですが、その勢いは1967年のリバイバルにも引き継がれます。当時のチラシには「全世界はすでに5回、わが国ではこれが4回目」とありますが、前年から3月にかけて菊田一夫による舞台版(帝国劇場)が5ヶ月のロングラン、70㎜版の世界初公開という絶好のタイミング。公開直前4月5日付の毎日新聞夕刊は「またヒット確実?」と報じているのですが、記事によると、公開約2週間前の3月28日から始まった日比谷スカラ座の前売り(窓口および電話予約)は、最初の4日間で3,714枚。昨年(1966年)の同劇場のヒット作「南太平洋(リバイバル)」「おしゃれ泥棒」の前売り発売数(最初の4日間)がそれぞれ1,128枚、938枚だったというから、期待の高さがわかろうもの。

実際に公開されたときの熱狂ぶりは、元東宝社長で「午前十時」の選考委員も務めた高井英幸の回想録「映画館へは、麻布十番から都電に乗って。」に詳しく書かれています。当時スカラ座で働いていた入社4年目の高井氏も残業100時間の大奮闘、続々と詰めかけるお客様に、宣伝カーで「お帰りください」と呼びかけたのは、あとにも先にもこのときだけだったそうです。余談ですが、以前映画年鑑(いつの年かは記憶なし)を読んでいたら、係長時代の高井氏が「映画館の業務の手順を冊子にまとめて評判」みたいな記事が載っていて、社長になる人は違うなぁ、と思いましたが、この時の経験も生かされているんでしょうか。

かくしてスカラ座は17週、続くニュー東宝(現在のTOHOシネマズ有楽座。この作品にあわせて70㎜対応に改装)で6週の大ヒット。翌68年3月にテアトル東京で26日、69年3月にもテアトル銀座と新宿武蔵野館で47日とたて続けに上映されています(大阪では70年に阪急プラザ劇場でD-150方式で上映されているのは以前ご紹介したとおり)。

さて、「チラシ大全集」を開くと、1967年の頁に上記のイラスト柄と本編を観た人には印象的な写真柄の2種類が掲載されています。共にB5の二つ折りで、中の文面は同じです。自分はイラスト柄はスカラ座版とニュー東宝版、写真柄はテアトル銀座版を何とか入手しているのですが、写真柄がそれ以前(67・68年上映時)に出ていたのかはちょっと判りません。
上:風と共に去りぬ
下:ドクトル・ジバゴ
ともに、1969年テアトル銀座上映時

写真柄のMGMマークは67年以前の古いタイプ(「2001年」製作に合わせて作られた新マークは67年12月公開の「危険な旅路」以降に使用)なので、69年に新たに作られたものではないと思うんですが、何せものを見たことがないので確信が持てません。この辺にキャリアの浅さをひしひしと感じます(ご存知の方、教えていただけると嬉しいです)。

続く1972年2月、当時のチラシによると、「わが国五回目」の公開がシネラマ方式で行われます。すでにテアトル東京で2回上映されていますが、シネラマ方式としての上映は松竹系のこれが初めてだったよう。
左がシネラマによる松竹・東急系、右が70ミリによる
東宝系(日比谷スカラ座)アンコール上映。

72年2月というと、札幌オリンピック真っ盛りの時期。「フレンチ・コネクション」と「ダーティハリー」の対決を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれませんが、東京では「風」が「フレンチ」の倍近く動員、年間興行でも第4位と強さを見せつけます(大阪は「フレンチ」が上。「ハリー」はロードショー時、大ヒットに至らず)。

年末にもスカラ座に戻ってアンコール上映。MGMは2年後の74年2月に日本支社を閉鎖しましたので、これが最後の「風」の配給だったと思われます。

個人的にはこの時のチラシのデザインが一番好きです。クラーク・ゲーブルを入れなくちゃいけないのでしょうし、67年版のイラストに大河ドラマ調の魅力があるのも確かですが、やはりこの映画は「南部女のど根性半生記」だと思ってますんで。

2014年4月30日水曜日

風と共に去りぬ(MGMリバイバル①)

丸ノ内日活の館ニュース
「風と共に去りぬ」の初公開(1952年)は当時、特別披露公開として「一年間は絶対に一般公開はいたしません」と売り込んでいました。そのためか翌年6月のアンコール上映(2週間)も帝国劇場のお盆興行、カーニバル・ショウと題して行われています。東宝のサイトを確認すると、帝国劇場で映画が上映されたのは1950年の「白雪姫」以来で、その後も1955年からの一連のシネラマ作品上映までなかったようです。この時のチラシを見かけないのも、その辺に理由がありそうな気がしますが、どうなのでしょう。

そして封切から1年経った、1953年10月と12月、なぜか2回に分けて新宿東宝や浅草大勝館等8館で一般公開、以降は低料金の劇場に流れていきます。ただ、これは都内の状況で、全国では有楽座の公開後、各地で独占公開を行っていたようです。

その流れが止まり、仕切り直しされたのが1955年のこと。シネマスコープ第1作「聖衣」(1953年12月公開)のヒットから沸きあがったワイドスクリーン人気に乗ってメトロスコープ、立体音響を施され、9月2日丸ノ内日活劇場にて再公開(3週間)されます。詳しい経緯はこの後一般公開された際の館ニュース(渋谷国際)の画像にて確認願います。
渋谷国際の館ニュースの見開き画面

丸ノ内日活劇場は「私は告白する」「ダイヤルMを廻せ!」といったヒッチコック作品をはじめとしたさまざまな作品を封切っていますが、作品そのもののチラシは見当たらないことが多く、「風」についても、館ニュースだけのように思われます(50年代はこういうことが多いようですが、この辺は自分の勉強不足もありますので、間違いがありましたらご容赦ください)。

ここで少し脱線。「リバイバル」という元はといえばキリスト教の信仰復興運動を指した言葉、近年はあまり使われなくなってしまいましたが、日本で使われはじめたのは映画界より歌謡界の方が先のよう。古い曲を別の歌手で再度吹き込むことを現在では「カバー・バージョン」といいますが、この時代は「リバイバル盤」といって売り出していたようです。リバイバル・ブームについて書かれた文献(矢沢寛)では「1959年村田英雄の『人生劇場』に端を発し、60年の『無情の夢』から61年の『並木の雨』、そして『君恋し』のレコード大賞受賞で絶頂に達する」とあり、電通の広告景気年表の1961年の流行語にも「リバイバル」が掲載されています。

実際には7月15日公開ですが、14日のスタンプが押され
ています。「ベン・ハー」は13日に上映終了していますので、
14日は改装か前夜祭的な催しがあったのかもしれません。
この広告景気年表の1962年に「洋画にリバイバル・ブーム」とあり、「駅馬車」「禁じられた遊び」
「荒野の決闘」等、続々と公開されたのですが、これの先駆けとなったのが、前年1961年7月にテアトル東京で公開された「風と共に去りぬ」です。

この公開は南北戦争100周年記念行事で地元アトランタでワールド・プレミアが行われ、またまたヒットしたため、全世界配給となったもの。

当時の朝日新聞によると、前売りは「ベン・ハー」を千枚上回る4万7千枚が出る人気。もともとは当時大ヒットした「ベン・ハー」と「キング・オブ・キングス」のつなぎとして3ヶ月上映する予定だったはずが、最終的には5ヶ月のロングラン。東京地区の洋画年間興収で「アラモ」「荒野の七人」に次ぐ第3位、上位2作は3館上映(パンテオンほか)だったので、1館あたりの数字でいえば堂々の第1位ということになります。これに年末の「哀愁」のリバイバルのヒットが翌年のリバイバル・ブームを生んだと言えるので、ヴィヴィアン・リーはまさにリバイバルの女神です。

なお、当時の「スクリーン」を見ると、「風」公開時にはリバイバルという言葉はなく、年末近く、「荒野の決闘」「見知らぬ乗客」(劇団民芸による吹き替え版。そういえば初期のレンタル専用ビデオは吹き替えでした)等の公開予定作の記事あたりから使われ始めています。
1962年10月TY白系公開時。
紙質は薄くなり、文字も金から黄に。

「風」は翌1962年も4月に築地中央でゴールデン・ショウと銘打って40日、10月に一般公開でTY白系9館で20日上映されています。

築地中央ではテアトル東京と同じタイプのチラシが出ているようです(ネットに画像あり)。ただ、自分のテアトル版はかなり厚紙で、プレスかも、と迷ったのですが、プレスはカラーもので別にあるし、大丈夫ではないかと。でも「大全集」(P92)の京成ローザ版(千葉)とも少し色が違うんだよなぁ。この辺は自信ないので、もしご事情ご存知の方で誤りに気づきましたら、ご教示いただけると非常にありがたいです。

2014年4月27日日曜日

風と共に去りぬ(バャリースオレンヂ)/セールスマンの死

公開前日の特別披露試写会のチラシ(復刻版あり)
に使われたり、パンフレットにはさみこまれたり。
今年で「風と共に去りぬ」は公開75周年。同い年の「オズの魔法使」は3D版を公開したりしているようですが、何か企画はあるのかな(それにしてもこの年のアカデミー賞、候補作が凄すぎる)。

この作品、前からチラシによって公開回数やロードショーの数がまちまちで帳尻が合わないのが気になっていて、これを機に上映遍歴を少し追ってみました。まずは初公開(1952年9月4日)から。

といっても、当時の有楽座版チラシは人気が高く(先日もヤフオクで10万超え!)、なかなか入手困難、紹介できるのはパンフレットに付いていたといわれる「バャリース」のタイアップチラシのみ。

当時バャリースは進駐軍には納品していたものの、全国販売はこの年から。瓶入り飲料もジュースはすでにあったサイダーほどポピュラーではなかった時代で、知名度を上げたいバャリースに対し、MGMは独占タイアップで応じ、巨額の反対給与を得たという(「独占」なので、当時製薬会社が広告に「風邪と共に去りぬ」というフレーズを使った際も厳重に抗議したとか)。

このタイアップで行ったのが、「バャリース・モーニング・ショウ」なるサービスで、朝の第1回にバャリースの瓶の蓋(王冠)を持参すると、料金を割り引くというもの。

バャリースとMGMとのタイアップはその後も「クォ・ヴァディス」(1953年9月公開)、「プロディガル」(1955年9月公開)といった史劇大作で続いています(「クォ…」はその昔ショップで小型のタイアップチラシを見かけた記憶あり)。1959年に缶入りを発売した際は、東和「お嬢さん、お手やわらかに!」と組んでキャンペーンガールのコンテストを開いたりしています。

主人公の息子の一人にキャメロン・
ミッチェルの名が。おっミネソタ無頼!
このような営業努力も実り、製作13年後というハンデもものともせず、大ヒットとなったわけですが、当時の新聞を見ると、「東京では満員、大阪は八割の入り」(9月25日付朝日)で、高額な600円の席がネックだったよう。「大阪人の方がチャッカリしているから実質的なのに対し、東京人の方が評判だけで中身を考えないで殺到するクセがあるのかも知れないとも見られる。六百円出すなら芝居を見るーというのが大阪人の考え方らしい。」と書かれています。一方毎日新聞(10月14日付)は大阪不入りの原因を都市の経済力とし、「有楽座の札口は千円札でキップを買う人々がほとんど」で「それほど東京の観客には千円札階級が多い」と綴っています(ちなみにその後のインフレで「千円亭主」なる流行語が生まれたのは1975年)。

パンフレットも新記録の11万3千部を売り上げ、それまでの「赤い靴」の8週を上回る13週のロングラン(12月3日付毎日)でしたが、観客減から11月26日で打ち切りたい興行側と、興行収入保障の契約をたてにロードショーの延長を求める配給会社側でトラブル(11月22日付朝日)となり、結局、有楽座は「セールスマンの死」を11月29日に封切り、12月13日から「風…」をアンコール公開するという変則的な対応を余儀なくされています。当時の広告を見ますと、「セールスマン…」も8月に新聞広告を打ち、10月には「スクリーン」で特集を組んだりしているので、こちらを配給したコロムビア映画もやきもきしていたんでしょうね。

参考までに当時の「風」の新聞広告をこちらにまとめてみました。当時としては他の作品(通常の大作でも3回くらい)に比して打った回数も圧倒的に多く、映画会社の期待のほど、人気のほどがうかがえます。また公開末期の展開は上記のトラブルの影響が見てとれます。

2014年3月31日月曜日

チャップマン報告(レポート)/世界女族物語

「シネグッズ・エクスプレス」でも取り上げ
られた珍品ですが、コンディションの悪さと
館名がない(あってもスタンプか?)こと
も手伝って、運よく入手できました。
本日は名づけて「夕刊斜め読み」エントリー。

数が少ないといわれるチラシの発生理由に「急遽公開が決まって、あまり刷られていない」というのが挙げられますが、「チャップマン報告(レポート)」もそのひとつかも。

昨日も図書館で昔の新聞縮刷版を見返していたところ、1962年12月15日朝日新聞夕刊「土曜コーナー」に26日公開予定の「世界女族物語」がイタリア国内の検閲に引っかかって輸入が遅れ、その穴を「チャップマン…」が埋める、とありました。7人いる検閲委員のうち、6人まで異議なしだったものの、議長が強硬に反対したとか。この年は9月公開の「世界残酷物語」が大ヒット、東宝としてはその余勢を買って、正月の日比谷映画も「女族」でひと稼ぎ、と目論んだのでしょうが、思わぬところで足をすくわれてしまったよう。

まぁ「チャップマン…」も人妻という「女族」の夜の生態を描いた記録映画といえなくもないですが、新年早々こういった話題の作品を選ぶほど、当時の世の中は進んでいなかったようで、2週間であえなく終了。続く「ジプシー」(これもチラシはあまり見かけない)も同じナタリー・ウッドの「ウエスト・サイド物語」のロングランを横目に10日間で終了、と62年は「ファニー」以外めぼしい作品が全くなかったワーナーさんと、正月興行の目玉「史上最大の作戦」(製作は同じダリル・F・ザナック)を松竹・東急系に取られた東宝さんにとっては口惜しい年末年始だったのでは。

「大全集」とは色違い。東和でよくある
単色版をB5二つ折りにしたような作り。
ちなみに2月23日付けの同コーナーでは「不振の洋画続出」と題し、不入りによる打ち切りで、次の作品が宣伝がまだきいていないうちに公開され、また打ち切り…という悪循環が続いていると書かれており、「橋からの眺め」「悪名高き女」「ライオン」「電話にご用心」といった作品が挙げられています。

「世界女族物語」ですが、翌年3月9日に公開。当時の広告には「ヤコペッティは検閲当局の場面カットの要求を頑として受け付けず、その製作意図を傷つけるものとして二ヵ月半闘い抜き、逆に場面追加によって、公開という勝利を掴みました。」と謳っておりますが、さ~て、実際のところどうだったんでしょうか。

しつこく3月9日付けの同コーナーによると、初日の日比谷映画ではスクリーンで世界の女性を見せるばかりでなく、「生きた女性に観客サービスをさせる」として、新聞広告で募集した外国女性3人、日本女性に5人に映画で登場するロスの新聞の売り子やガソリンスタンド嬢と同じショートパンツにセーターを着せ、プログラム売りや劇場案内で活躍してもらう、という企画を実施。東和のアイデアマンは「これこそ立体的サービス」と自慢しているそうな。

「立体的サービス」かぁ、「ファンタズム」のビジュラマ方式の原点がここにあった訳ですね(←違います)。

ともあれ、この3月の東宝は「女族」はもちろん、「天国と地獄」「アラビアのロレンス」「わんぱく戦争」と各館大当たり、正月を上回る新記録の月だったようであります。

2014年3月24日月曜日

こころの山脈

先月に観た映画の話の次が正月に読んだ本の話、というのもちょっと恥ずかしいのですが。

われらモスクワッ子」と同様、この「こころの山脈」も作品をよく知らぬまま入手したもの。チラシを読んでみると、「本宮方式」という町ぐるみで映画作りに取り組んだ作品のようで、大手5社の寡占体制が陰りを見せていた当時、かなり注目され、キネマ旬報1965年決算号の映画界重大ニュースでは映画の製作そのものが第10位にランクイン(ちなみに第1位は松竹京都撮影所の閉鎖、第2位は映画人口の4億人割れ)。作品の評価も、翌年の邦画ベストテンに第8位と、かなり高かったようです。

住民参加の映画というと、それ以前にも「ここに泉あり」とかもありましたが、教育活動(もともとは「太陽族」映画への対抗)と密接だったのが新しかったのかな。ともあれ、これに似た「住民参加」「製作費を前売券で」といった手法は現在に延々と引き継がれていますね。

ちなみにこの映画に出演した生徒たちや主演した山岡久乃が再度集まって1997年に「秋桜 コスモス」という映画(ストーリーは無関係)が作られています。全くの余談ですが、音楽担当は件の「現代のベートーベン」氏。

「本宮方式って何」、とネットであれこれ調べていて行き当たったのが、今年開館して100年目を迎えた本宮映画劇場。昭和38年に閉館したのですが、館主の方が再開を期して今もなお、映写機や建物のメンテナンスをされているという、稀有な存在。「旅する映写機」というドキュメンタリー映画でも紹介されています。
貴重なビラ・チラシ類も2ページほど掲載
されていますが、残念ながらモノクロ。

こちらの映画館は、本宮方式とは異質(というか真逆?)な大衆娯楽専門館だったようですが、館主の田村氏はエロ・グロ含めた当時のポスター・チラシ等はもちろん、上映禁止になった武智鉄二の「黒い雪」(実は上記キネ旬決算号の重大ニュースの第3位はこの問題)といった貴重な作品の「いいところ」をまとめたフィルム等をしっかりと保存されているという、凄いお人。

そんな田村氏をはじめとした全国各地のユニークな独居老人たち(映画関係では早稲田松竹の館内のオブジェを作っているお掃除担当の方も登場)の横顔を追いかけているのが、「独居老人スタイル」という本。筆者は都築響一。うわっ懐かしい(すいません)。その昔、今はなき「マルコ・ポーロ」という雑誌に都築氏が「サルマネクリエイター天国」という商業アートのパクリを告発する(例えばこのCDジャケットのデザイン元ネタはこれ、とか)連載があって、毎月楽しみにしていたのですが、今はこういう仕事をされているとは。さまざまなライフスタイルをルポしてきた都築氏だけあって、登場する方への眼差しも暖かく、一気に読ませます。

自分は文中で紹介されている方たちほど突き抜けて生きていくことはできないし、独居もいいことばかりではないと思いますが、間違いなく「独居老人」に向けて舵を切っている者として、少し勇気をいただいた一冊でありました。

2014年3月16日日曜日

華麗なる週末/クリスマス・ツリー

相変わらずのご無沙汰です。

まずは追記情報。チョコさんのブログの情報により、007のセットチラシのエントリーの資料室で記した「死ぬのは奴らだ」の「ユナイトマーク抜き」版が「ムーンレイカー」公開時に中日シネラマ劇場で配布されたものと判明しました。「ウエストサイド物語」の1973年リバイバル版(デザインは1972年版と同じ)入手と合わせ、追記しております。チョコさん、遅くなってしまい申し訳ありませんが、いつも情報感謝です。

さて、こちらも先月の話で恐縮ですが、偶然に偶然が重なって、東京で「華麗なる週末」を観ました。フィルムセンターの企画上映で、「ロイ・ビーン」含めて気にはなっていたものの、距離とスケジュールであきらめていたのですが、帰省帰りの有休にピタッとはまる僥倖。

いやぁ、よかった。フィルムセンターで映画を観るのは初めてだったのですが、画面の大きさと客席からの角度が昔の文芸座を思い出させ、テクニカラーの色調も相まって、すっかり名画座気分。正直なところフィルムとデジタルの違いが分かるような眼力はないのですが、この色合いは「フィルム~」って感じで、眼福眼福。作品もノスタルジックで、脇に回ったマックィーンも好演。しかしこの時期のマックィーン氏、「ブリット」にこれに、「栄光のル・マン/ライダー」と、自前のプロダクション使って乗り物愛全開ですな。

画像のチラシは「クリスマス・ツリー」との二本立てのもの。両作品は1969年12月に封切られ、東京や大阪ではそれぞれ単独に公開されていますが、名古屋(上)では二本立て上映。東京(下)でも翌年3月にTYチェーンで二本立て公開されていますが、チラシ中央の帯のコピーが修正されています。ここまで手を入れているケースは珍しいかも。

フィルムセンターの話が出たので、「モダン・タイムス(72R)」のコメント欄でじゅまんじさんからも情報提供いただいている企画展のお知らせも。

「赤松陽構造と映画タイトルデザインの世界」と題し、永年日本映画のタイトルデザインを手がけた第一人者である赤松氏の作品を中心に日本映画のタイトルデザインの歴史もからめて展示していくようです(4月15日~8月10日)。

チラシの「アントキノイノチ」「ウォーターボーイズ」を見てお気づきのとおり、広告の題字デザインではなく、映画本編のタイトルデザインについての企画展ですが、興味を惹かれる内容で、イベントも土曜に3回ほどあるようなので、こちらもできれば1回は足を運びたいなぁ、と思っております。

2014年2月27日木曜日

われらモスクワッ子(「私はモスクワを歩く」「モスクワを歩く」)

雪、帰省、オリンピックとすっかりサボってしまいましたが、ソチ五輪にあわせて旧ソ連映画を。

あまり深く考えずに旧作を漁っているせいか、入手してから作品を調べることも多々あって、この「われらモスクワッ子」もそのひとつ。1963年製作で監督は「不思議惑星キン・ザ・ザ」のゲオルギー・ダネリア。当時10代のニキータ・ミハルコフが俳優として出演しています。ロシア映画社のデータでは「私はモスクワを歩く」となっていて、1964年のソビエト映画祭等でも上映されたようです。

提供のワールド・フイルムは「砂の女」の輸出を手がけ、1965年頃から配給も開始。映画評論家の児玉数夫が当初宣伝部長を務めていましたが、氏の「私の映画日記④」(右文書院)によれば、「(邦人配給会社の)群小どころはもっぱら東急系をめざす、その東急もおぼつかなくなってポシャリ」という状況だったようで、この作品や勅使河原宏が参加した4ヶ国合作オムニバス「15才の未亡人たち」(別題「思春期」)は公開に至らず、児玉氏の在任も9ヶ月で終了。Wikipediaの記事によれば、翌年からはピンク映画の製作に方針転換したようで、その後70年代後半から再び一般映画の配給を手がけています。「ビッグ・マグナム77」「ヒッチハイク」「パワープレイ」…あったなぁ。

お蔵入り、といっても当時この映画の主題歌(「思わず口笛を吹きたくなるような佳曲」とは「別冊キネ旬:ソビエト映画大鑑」の日野康一)の日本語版をダーク・ダックスが吹き込んでいたり、「ロマンス・ロマンス」なるハーモニカ演奏版のレコード(ジャケットもこのチラシのデザインを活かしている)が出たり、といろいろ仕掛けはしていたよう。

この映画、当時のソ連らしからぬ青春映画だったようで、ネットでの評判もいいし、ちょっと観てみたいなぁと思ったのですが、来月東京で上映予定が。でも「ちょっと観てみたい」だけで日曜の夕方に東京ってのもきついなぁ。

2014年2月7日金曜日

火の馬(91R)/忍者武芸帳

1991年リバイバル時のチラシ。
初公開時のポスターデザインを再現。
前回のエントリーの続き。

自分のような地方暮らしの一般人では益川氏のことを知ろうとしても、なかなか難しく、もしやと思って手に入れた「日本の映画ポスター芸術」(2012年にフィルムセンター等で開催)のカタログにも氏の作品は掲載されていない。どうもATG以降のモダンな作品が中心の展覧会だったようで、「近代美術館」を冠したフィルセンらしいといえますが、ちょっと残念です。

そんな中で目を引いたのが、「火の馬」のポスター。1969年に公開されたウクライナ映画で、描いたのは檜垣紀六。益川氏とは東宝アート・ビューロー(現東宝アド)で師弟関係にあり、1977年まで益川氏が担当していた「キネマ旬報」の装丁を引き継いだのも檜垣氏でした。

カタログには檜垣氏へのインタビューが載っているのですが、これが滅法おもしろい。ATG作品といえば、小笠原正勝粟津潔といった方の印象が強く、檜垣氏を「ランボー」や「キャノンボール」に代表される一連の東宝東和の宣伝デザインから知ったこともあって、この種のものに関わっていたことを知らなかったのですが、氏にとっては商業作品中心の仕事の中での「箸休め」的な位置づけだったようで、それゆえ自由な発想とデザインで空間をうまく利用でき、「火の馬」のような魅力的な作品群を生み出していったようです。

そうはいっても社員旅行の熱海の夕陽を「ランボー」に活かした檜垣氏のクラフトマンシップはここでも健在。作成当時、場面写真が3枚しかなかった「ベトナムから遠く離れて」(1968公開)では、少女の横に「地面から伸びている手のようなもの」が見えます(チラシだと少しわかりにくいのが残念)が、これは岡本喜八監督が「日本のいちばん長い日」の撮影準備中に、タイトルのイメージにしようとして没になった写真(痛めつけられた民衆の叫びを表現しようと、マネキンの手を土の中に入れた)を使ったそうです。

市民ケーン」(1966)は新聞社の話なので、キャビネの写真を拡大してドットをわざと目立たせるという手法。これは初版チラシでもそのエッジが効いた感覚が少しだけ窺えます。

二つ折りを見開きで(A4)
忍者武芸帳」(1967)では劇画以外に素材が無かったことから、「たまたま僕の前に若くて目つきの鋭い奴がいたからスタジオで彼の目を撮った」そうで、セールスポイントにしたい大島渚監督の写真が無いので撮影の約束をしたら、スーツとネクタイで現れ、「檜垣君、僕は撮ることはあるけど、撮られたことはないから写真がないんだ」といわれたそう…etc

裏話的な話題ばかり抜き出してしまいましたが、檜垣氏のお話は技術的な面や歴史的な面でも貴重なもので、できればもっともっと多くのことをお聞きして、まとめていただきたいもの。

書籍にするのは権利関係とかで難しい点があるのかもしれませんが、映画宣伝に今ひとつ元気を感じないこの頃、喝を入れる意味でも期待したいです。

2014年2月3日月曜日

モダン・タイムス(72R)

このイラストの原画は墨絵で実物大に描かれ、
淀川長治も「これこそチャップリン」と絶賛したという。
岩谷時子が亡くなった時に、「みじかくも美しく燃え」のことを思い出して、「東和の半世紀」をあらためて手に取ったところ…

この本には淀川長治や双葉十三郎といった映画評論家はもちろんのこと、川端康成や三島由紀夫、寺山修司、宮沢喜一等、各界の方が文章やコメントを寄せているのですが、その中に「世界残酷物語」の写真とともに「ザンコク・バンザイ」という文章が。

筆者は益川進。「聞いたことない人だなぁ。学者さん?(←それはノーベル賞の益川敏英)」と思いながら、読みすすめていたところ、「世界残酷物語」のポスターを担当したなれそめのエピソードが綴られ、「このあと、《ビバ!チャップリン》『愛のコリーダ』へと長く続いた」とあるではないか。

あぁ、灯台下暗し。以前70~80年代の東宝系作品のいくつかのイラストが気になっていたのですが、サインがうまく読めなくて、マルカワ、マスカワどっちだろう?と思いつつ、迷宮入りして放置していたのだった、そういえば。

名前がわかって調べてみると、映画広告の世界で非常に功績のあった方で、東宝を基盤に東映、東宝東和等のポスターや新聞広告で数々の名作を生み出しています。とりわけ東宝時代の黒澤明の作品群のポスター・題字はほとんどこの方の手によるもののようです。

益川氏の仕事は映画広告のみならず、キネマ旬報をはじめとした雑誌・書籍の装丁、あの「男は黙ってサッポロビール」のロゴのレタリングといったものまで。

さらには近年再評価されているという鈴木英二監督、司葉子主演の「その場所に女ありて」(未DVD化)の脚本は東宝の社内公募に入選した益川氏のシナリオが元になっていたり(クレジットは変名で、升田商二)と、本当に多彩な仕事を残されています。

かくして、毎度のことながら自分の知識のなさに恥ずかしくなったのですが、その知名度・功績は業界内と比べて、やはり一般的には知られていないのが現状のようです。映画広告表彰の先駆けである「読売映画広告賞」は第1回をはじめ受賞に枚挙にいとまなく、第25回(1974年5月)にその功績から特別表彰を受けているのですが、読売新聞の過去記事で氏の名前がヒットしたのはこの時が最後。他紙や大宅文庫でも氏の名前は検索できませんでした。
益川氏の仕事がカラー6ページに
わたって紹介されています。
そんな中、昨年は少し動きがあって、氏の母校である広島県呉市の小学校に自作の絵画を寄贈していたことが最近になってわかり、市内の公民館で展覧会が開かれ、地元ではローカルニュースや中国新聞の地方版に取り上げられました。この展覧会を機に呉のミニコミ誌「くれえばん」が益川氏の特集を掲載し、自分もこのバックナンバーでいろいろ知識を得た次第です。

さらに今年に入って、展覧会開催に尽力された母校の元校長先生が益川氏の仕事を紹介したホームページ(益川進の世界)を立ち上げられました。ぜひご覧いただければと思います。これをきっかけに少しでも広く益川氏を知る人が増えることを切に望みます。

蛇足ですが、自分もできる範囲で益川氏の仕事をまとめてみました(日本映画はこちら外国映画ほかはこちら)ので、こちらもご覧いただければ幸いです。

それにしても、これだけの人が世間一般には知られていないのは残念というより、かなり問題なのではないでしょうか。クールジャパンだかなんかで、よくわからない予算を使うより、益川氏をはじめとした映画黄金期に貢献した職人たちの仕事をしっかりとした形で掘り下げ、まとめることの方が絶対に大事だと、強く思います。

2014年1月30日木曜日

かなり地味な画像を追加。

ということで、関西エキプ・ド・シネマに特集上映の画像2点、「幸福の黄色いハンカチ」に、「ロッキー」との二本立てチラシを。ついでに「オーパーツなチラシ」も1点追加。

この手の特集上映のチラシもライバル、というか同好の士が全国に何人かいらっしゃいます。

ヤフオクでも、それまで誰も見向きもしていないような素振りを見せながら、最後の10分を切ってからわらわらと集まって、「またお前か」と(おそらくお互いに)ぼやきつつ100円玉を上乗せあいっこしているのですが、ものによってはエスカレートすることもあったりして、「続ける」「降りる」、その按配が難しかったりします。散々争った末に思わぬ高額になってしまい、その取引が終わったか終わらないかのうちに同じものがほぼ無競争で(当然)激安で落札され…みたいなことは幾たびか。

その度につくづく自分も馬鹿だなぁ…と思ってしまうんですが、まぁ、結果としての値段より、競りのゲームのお楽しみ料だ、と無理やり言い聞かせてみたりして。なんだかなぁ。

こちらの画像は第1回の日本アカデミー賞を記念したノミネート作品の特集上映。日本アカデミー賞も、結果についてあれこれ言われますが、もう30年を優に超えちゃっているんですね。時間の流れの速さを感じるこの頃です。

日本沈没/小説吉田学校



久々ながら脊髄反射エントリーにてご容赦。
たまたま昼休みにスマホをいじっていたところ、日本を代表するイラストレーター、生賴範義の企画展の情報が。家に帰って企画展のFacebookを眺めていたら、「日本沈没」の1973年版のポスターが。いやぁ、リメイク版を手がけていたのは知っていましたが、オリジナル版も氏の手によるものだったんですね。他にも「獣たちの熱い眠り」(1981)の劇画タッチのイラストや岡本喜八の「EAST MEETS WEST」(1995)とか、これも気づかなかったな~
あわててキャグニーさんのサイトのギャラリーを確認したら、しっかり「日本沈没」「獣たち」が展示されていました。さすがです。

せっかくなので公式のFacebookでも今のところ紹介されていないネタを投下。「小説吉田学校」(1983)。これを発見した時はちょっと驚きました。どうしても自分には「帝国の逆襲」や「ゴジラ」のイメージが強いので…

ちなみに展示は2月8日から3月23日までみやざきアートセンターにて。「日本沈没」を描かれた頃から当地に居を構えてらしたからなのでしょうが、さすがに遠いです。せめて東京でもやってくれないないかなぁ。

図録の第1次先行予約(特典は展覧会のチラシ8種!にカレンダー)もとっくに終わっていて、オノレの情報収集能力の貧しさに、ため息ばかりであります。

2014年1月18日土曜日

2013年下半期に観た映画(リスト)

越年したので長い感想はギブアップ。
採点をするほどの能力もないですが、印象点を双葉十三郎先生の「ぼくの採点表」の要領で。
旧作はなんとなく☆☆☆★★を上限にしてみた。

☆20点 ★5点。

☆☆☆☆以上……ダンゼン優秀

☆☆☆★★★……上出来の部類

☆☆☆★★
☆☆☆★………見ておいていい作品

☆☆☆…………まァ水準程度

☆☆★★★………水準以下だが多少の興味あり

☆☆★★以下……篤志家だけどうぞ


7月 
サイコ☆☆☆★★
    この時代のモーテルはテレビもなかったのね。最後に「ブリット」のあの方が出てきて嬉しい。

舟を編む☆☆☆★
    好きな話だけど、ここまで大作にする必要があるのかな。サクっと見せて欲しかった。

8月 
終戦のエンペラー☆☆☆
    日本の描写に妙な点が無いのはホッとするけれど、あちこちに気配りしすぎて、肝心の中身が魅力薄。


恐怖と欲望☆☆★★★
    アート志向の「コンバット」。

ペーパーボーイ 真夏の引力☆☆☆★★
    真夏に目の前で鉄板ホルモン焼きを水無しでドサッと出された気分。
    CMで食べている日本とは違って、本業で稼いでいる向こうの俳優は冒険ができるなぁ。

パシフィック・リム☆☆☆★
    「真夜中のカーボーイ」でウルトラマンの怪獣を見つけた時のような嬉しさはありましたが、期待値が高すぎた。

エンド・オブ・ウォッチ☆☆☆★★
    警官の会話がいかにもありそうで面白い。野郎としてはゴスリングよりギレンホールの方が好きです。

ローン・レンジャー☆☆☆★
    序盤の銃撃戦で賛美歌「まもなくかなたの」が流れ、クレージー・リー(ボー・ホプキンス)もどきのキャラクターが出てきた時点で合格!
    後は知らない、二人は若い♪

9月 
プリティ・ウーマン☆☆☆
    カーナビが無かったから二人は出会えたんだな。くろばくさんの名言「便利な時代になって、映画は不便になった。」を思い出す。

サイド・エフェクト☆☆☆
    ソダーバーグ最後の映画、ってのが売りでしたが、巨悪を暴くような話ではなく、がっかり。
    県内で(多分)かからなかった前後の2作(マジック・マイク恋するリベラーチェ)の方が評判いいみたいで、さらにがっかり。

マン・オブ・スティール☆☆☆
    ノーラン+スナイダーなので、方向性は判っていたけれど…人助けより正義のための戦いが大事なんですな。
    「弾丸よりも速く」ばかりで、「機関車より強く」が感じられなかったのも残念。

反撥☆☆☆★
袋小路☆☆☆
    県外遠征でようやく観ることができたのは嬉しかったのですが、どっちにするか迷った「セデック・バレ」を切ったのもかなり後悔。
    それにしても1965年のお盆に日比谷映画が「反撥」をかけていたというのも凄い話だ。

ホワイトハウス・ダウン☆☆☆★
    安定のエメリッヒ調を楽しみましたが、スケールもダウンですな。

リオ・ブラボー☆☆☆
    これを楽しめなかったのが、今年最大のショック。
    ところどころよくても、いかんせんテンポが。これなら「真昼の決闘」の方が(以下自粛

10月 
ウルヴァリン SAMURAI☆☆★★★
    観ていたプリクェルの続編と思ったら、1しか観ていないシリーズの後日談だった…
    外人は浅草が好きだなぁ。

欲望のバージニア☆☆☆★★
    こういう題材は好きなので、つい点数が甘くなってるかも。
    それにしても最近のシャイア・ラブーフは狂言回しみたいな役ばかりだな。

クロニクル☆☆☆★★
    短い時間にアイデアを詰め込み、快調快調。
    ハリウッドは層が厚いなぁ。主演が前日観た「欲望のバージニア」にも出ていたのはあとで気付いたけれど。

ランナウェイ/逃亡者☆☆☆★★
    レッドフォードの次世代への伝言、同世代への鎮魂歌とでもいう内容。
    後は任せた、とでも言われたようなシャイア・ラブーフは(以下同文

パッション☆☆☆★
    スプリットスクリーンが始まるや、「ファム・ファタール」を観て浮かんだ「踏まれても、ついて行きます下駄の雪」の言葉が頭をよぎる。
    下半期でいちばん面白かった。えっ、その割に点数が低い?(夜回り先生風に)いいんだよ…
    「二郎はラーメンではなく二郎という食べ物である」のと同様、「デ・パルマは劇映画ではなく、デ・パルマという映画である」のだ、たぶん。

トランス☆☆☆
    出だしは快調、後半グダグダっていうだけなら「パッション」も同じなんだけれどね。
    警察、仕事しなさすぎでしょ。

ダイアナ☆☆☆
    これも「終戦のエンペラー」同様、あちこちに気を配って…という感じ。
    ナオミ・ワッツはダイアローグは知る由も無いですが、動作とかは上手く似せていたと思います。

カッコーの巣の上で☆☆☆★★
    この年齢で観ると、つい病院側にも肩入れしてしまうな。ルイーズ・フレッチャー最高。 「半澤よ、これが顔芸だ。」といいたくなる。

エリジウム☆☆☆★
    前作より垢抜けた分、フツーの作品に。アメリカって「金も稼げないのになんで長生きしたいの?」って素で思っている人が多いんだろうな。

11月
42~世界を変えた男~☆☆☆★
    良くも悪くも小学校の図書館に置いてありそうな伝記物語っぽい。プラグマティズムが差別の壁を越えた、という視点が面白かった。
    でも、その影の部分が「エリジウム」の格差社会を全否定はしない、というスタンスという気も。

グランド・イリュージョン☆☆☆
    ひたすら展開を楽しんで、観終わったらパッと忘れる…という、映画自体がイリュージョンでした。オチから考えればあり得んオハナシ。

2ガンズ☆☆☆★
    マンガみたいだな、と思ったら、本当に原作がグラフィック・ノベルなんだそうで。

風立ちぬ☆☆☆★★
    宮崎監督の心境映画なのでしょうが、実写で観たいお話。飛行機だけでなく、乗物全般のこだわりが半端ない。
    「創造的人生の持ち時間は10年だ。」という台詞があったけれど、宮崎監督自身にとってはどの時期だったのだろう。

悪の法則☆☆☆★
    内容を把握したとはとてもいえないけれど、後を引く味がありました。マックィーンが一瞬出てくる(そういう店があるとか)のも個人的にマル。
    ハビエル・パルデムの「カァウ~ンセラァァァ」と呼ぶ声が戦争映画の「衛生兵!」になんか似てるな。キャメロン・ディアズも気に入りました。
    
暗くなるまでこの恋を☆☆☆
    映画に詳しければまた違った見方があるのでしょうが、自分にはほぼ観光サスペンス。

恋のマノン☆☆★★
    原題がMANON70で1971年公開だけれど、本国公開は1968年。入荷が遅れたのも察せる出来映え。ドヌーブ嬢の美しさをひたすら堪能。

フォレスト・ガンプ 一期一会☆☆☆★★
    公開当時は合成技術が話題になったが、その技術がすっかり行き渡った現在になって観ても、作品のクオリティが揺らがないのはさすが。

用心棒☆☆☆★★
    人質交換のシーンの音楽がどっかで聴いたことがあるな、あ、あれだ!と思い出した途端、ホルホルして映画に集中できず参った。

12月
皇帝のいない八月☆☆☆
    カサンドラ・クロスをやりたかったのかもしれませんが、いくらなんでもクーデターに列車ジャックはムリ。他の部隊と連動してないし。
    山本圭が渡瀬恒彦に迫力負けしているように感じるのは現代の眼で観ているからなのか。

  「用心棒」と「皇帝」は地元の映画祭で観たのですが、ゲストの樋口真嗣監督が「皇帝」のFM音声による同時解説(初見なので聞くのは遠慮)をつとめていて、上映終了後の挨拶で「今は題名を言えませんが、週明けくらいに新作の発表があります。本屋の平積みに『こんなところに名前が』と思うはず。」と話していて、なんだろうと思ったら、「進撃の巨人」だった…

ゼロ・グラビティ☆☆☆★★★
    例によって車を飛ばしてIMAX3Dへ。迫真的な(って、行ったことないけれど)宇宙空間を体験。いろんな意味で完成度が高い。
    ただ、散々楽しんでおいてこんなこと言うのもなんですが、上手くまとまりすぎていてどこか居心地の悪さを感じたのも正直な実感。
    真っ当な批判には耐えられそうもない「風立ちぬ」「パッション」の方が、欠点すら愛おしいところがあるんだよなぁ。
    作り手の顔が見えない感じがするのはこの監督の過去作(「トゥモロー・ワールド」等)を見逃している自分の責任が大なのでしょうが。

メリー・ポピンズ☆☆☆★★
    技術は時代に勝てなくても、その表現に挑む志は輝き続けるし、音楽や踊り、役者たちの動き、表情の素晴らしさは不滅だな、としみじみ。
    ライアン二等兵に続いてミスター・バンクスを救いに行くトム・ハンクスの活躍が楽しみです。

2014年1月5日日曜日

謹賀新年

三が日も過ぎてしまいましたが、明けましておめでとうございます。

画像は1974年の東和の年賀状。この辺がもう40年前になってしまうのだから、時の流れは早いです。気がつけば自分もマックィーンの没した年齢に並んでしまう訳でして…

昨年は公私共にいろいろあって、エントリーが激減してしまいました。始めた頃の勢いはどこへやら、で恥ずかしい限りですが、書ける時に書きたいことを書く、というマイ・ペースで「チラシの裏にでも書いとけ」というあれこれを綴っていこうかと思う次第です。時々でも覗いていただければ幸いです。

世間から見れば拙ブログなぞ、ゴミのような言葉や画像をネットの海に不法投棄しているにすぎないだろうに、自分としては精霊流しを川に放つ気分だもんなぁ、と考えていてふと、ポリスの「孤独のメッセージ」(Message In A Bottle)って曲があったなぁ、どんな歌詞だったけか、と調べてみたら、SNSが発達した今を予見したような展開を見せていて、いやぁ、知らなかったっす。

と、無知蒙昧をネットの力で糊塗しつつ、今年もよろしくお願いいたします。