おことわり

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2013年9月29日日曜日

訂正とか画像の追加とか。

♪あやまちな~んてぇ、誰にもあ~るわぁ…
シンシアの歌声が心地よい季節、またしても訂正であります。
ごめんなさい。

「小さな恋のメロディ」のエントリー中、TYチェーンでの「初恋」との二本立て上映を1972年4月29日より1週間、と記述していましたが、実際には3月18日に渋谷地球座、上野スター座、自由が丘東宝、八幡スカラ座、吉祥寺スカラ座、川崎スカイ、25日より新宿京王名画と相鉄文化劇場、翌月1日に池袋スカラ座と王子日劇で公開されていました(千葉京成でもチラシが出ていたように記憶していますが、こちらの時期は不明)。

この時期の上映は新聞縮刷版の広告を頼りに調べているのですが、70年代に入るとTY系の二番館は二行程度の上映時間の広告(ほぼ毎日の朝刊に掲載)が出なくなっており、公開前日に出る夕刊広告で判断するしかありません。「小さな恋…」については江東リッツの上映期間を調べる流れで、二行広告ばかり見てしまい、夕刊広告を見落としてしまった次第。事実としては4月29日より1週間、渋谷文化やテアトルダイヤ(池袋)、有楽シネマ(ここのみ「ひまわり」と二本立)で上映されているのですが、これはあくまでTY系上映後のムーブオーバーのようです(TY系の上映は必ずしも夕刊広告が出ているとは限らないので、現時点では上映期間の掲載はしません)。

それにしても、つくづく感じたのがこの時代の恋愛・青春映画の人気ぶり。考えてみれば人口比率に高いボリュームを占める「団塊の世代」が20代前半だった訳で、そりゃあデートには絶好のアイテムだったのでしょうね。

あわせて、ジャクリーヌ・ササール様アヌーク・エーメ様の出演作、再版チラシ(オーパーツ)についても画像を追加いたしました。

以前に比べますと、更新スピードが大きく落ちており、そのうえ誤りも…と、散々な状況ですが、調べたいこと、書きたいことはまだまだありますので、懲りずに続けていく所存です。誤りは今後もどんどん修正していきますので、過去のエントリーも含めて気づいた点がありましたら、コメント欄やメールにてご指摘いただけますと嬉しいです。今後ともよろしくお願いします。

ウエスト・サイド物語(リバイバル)

ユナイトのリバイバル考察の続き。
「屋根の上…」のリバイバルの際、マークの修正がされていなかったことを書きましたが、「ウエスト・サイド物語」も確認してみたところ、上映方式の表示の変更はしていても、70年代のリバイバルのユナイトマークの修正はされていませんでした。「卒業」は結構きちんと手を入れているのに、何故でしょうか?

ともあれ、完全ではないのですが、69年以降のリバイバル公開のチラシをこちらにまとめてみました。初版もいつかは手に入れたいのですが、こちらは人気が高くなかなか困難であります。

画像は運よく手に入れたユナイトのシネ・サークル広報誌「UA CINE MATE」の創刊号。69年のリバイバルにあわせて「ウエスト・サイド物語」の特集が組まれています。

上映日数511日、入場人員1,524,849人(当時の名古屋市の人口に匹敵)という大記録を達成した丸の内ピカデリーの元支配人尾ヶ井武氏が手記を寄せているのですが、当初は年の暮れ(1961年12月23日)の公開で出足は決してよくなかったが、口伝えで雪だるま式に伸びていったとか。最初の1週間がピークになっている当節の興行とはずいぶん趣が違いますね。ロバート・ワイズ監督が来日した折、いかに観客が熱狂的だったかの話を伝えたところ、「わたくしは『ウエスト・サイド物語』をみた日本の多くのファンのひとりひとりに、いま握手したい気持ちです。でも、そうしたら、これから一年も日本に滞在しなければなりませんね」と、暖かな微笑を浮かばせながら答えたそうです。

2013年9月14日土曜日

屋根の上のバイオリン弾き/チキ・チキ・バン・バン(76R)

70年代のリバイバル上映に同一デザインの使い回しが多いことは、「卒業」「荒野の七人」のエントリーで書きましたが、見分けるポイントの一つが配給会社のロゴマーク。

ユナイト映画も60年代後半からロゴがいろいろ変わっています。自分は70年代後半から映画を観始めたので、どうもユナイト映画はこのマークがついていないとユナイトっぽさを感じないのですが、この”T”をかたどったマークは当時の親会社、トランスアメリカ社のものでユナイトそのものとは無関係。

当時のチラシを確認しますと、このTマークが右から左に移ったのは1973年7月公開の「007死ぬのは奴らだ」あたりからのようです。

とはいえ、リバイバル作品の場合、この修正が必ずしも徹底されていなかったよう。「屋根の上のバイオリン弾き」(初公開は1971年12月)は76年上映時(縦型のデザイン)は左にありますが、80年の上映時は初公開のものをそのまま流用したせいか、マークが右のままです。この時の上映状況を考えると、急遽決まった感じも受けるので、封切時の版下をそのまま使ってしまったのかもしれません。「屋根の上…」については再版ものもありますので、こちらにまとめてみました。

分らないのが「チキ・チキ・バン・バン」のリバイバルで、テアトル東京で公開された時(1976年3月)はとっくにTマークが左にあるべきなのになぜか右に。他の地区の公開(70㎜マーク)は左になっています。なぜこの時期にこのロゴが使われたのでしょうか。前からリバイバルを準備してチラシだけ作っていたとか?

謎といえば謎ですが、どうでもいい話ですよね。

この際なので、さらに細かい話をしますと、トランスアメリカ社についての表示は76年4月頃より、”Entertainment from Transamerica Corporation”から”A Transamerica Company”に変更されています。調べてみると、コーポレーションとカンパニーの違いはあるようなのですが、英語にはとんと疎い自分にはよく分りませんでした。
「チキ・チキ・バン・バン」(1976リバイバル)
チラシ右下部のユナイト社ロゴ。
上がシネラマ版、下が70㎜上映版です。
日本も最近は合併が増えて、足し算みたいな社名の会社が目立つようになりましたが、企業買収が恒常化しているあちらではよくある変更なのでしょうね。

トランスアメリカ社については例の「天国の門」(1981年公開)の問題が起きてから、ユナイトからは手を引いており、「屋根の上…」の1982年上映時のチラシには同社の表示は消えています。