ぼやぼやしていると、何を観たかも忘れそうなのでメモ。
「世界にひとつのプレイブック」。「これが亀田家を舞台にしていたものなら感動したのか?」と自問自答しつつも気に入った「ザ・ファイター」の次がこれだと、どうも「グッドフェローズ」の後の「カジノ」というか、焼き直し感が拭えません。同じテーマを追求し続ける作家ということなのか。
終盤のダンス・コンテストは、前作のボクシングに比べると、目指すのが「及第点」という微妙な線で、観る側としてはポイントが掴めず、それを補うために用意した(?)「コンテストにちゃんと出場するのか」というスリルも、主人公のトラウマ歌曲「マイ・シェリー・アモール」と同様、中途半端。家族劇という面では、デ・ニーロがデ・ニーロにしか見えず、家族という感じがしなかったしなぁ。
エンディングの鮮やかさは見事だけれど、全体的には世間の評判ほどとは思えませんでした。「薬を飲むと太る」とか、個人的にグサッと来る台詞・描写もいくつかあったのですが。
「ダイ・ハード ラスト・デイ」。ビル→空港→街→全米、とスケールのインフレが続き、さすがに次は宇宙じゃねぇよな、と思ったら、海外という穏当な展開。
とはいえ海外に「出かける」となると、このシリーズの魅力である「主人公が運悪く陰謀に『巻き込まれる』(ついでに陰謀を謀る方も想定外の存在である主人公に邪魔されて狼狽する)」というパターンにならなくなってしまうのは致し方ないところ。
主人公、妻、助っ人の警官が事件によって本来の自分(と書くとクサいけれど)を取り戻すサブストーリーが第1作を傑作にしたと思っている自分にとって、今回の親子の復縁劇は好感が持てて、3や4よりは面白かったのですが、そうなるとなおのことボニー・ベデリアの不在が残念でなりません。
「ジャンゴ 繋がれざる者」。流れ者のガンマンが凄腕で…という設定はこの種の映画の定番ですが、このジャンゴのように「奴隷でした」というのを見せてしまうと、「凄腕になるまで」が必要なんじゃないの?と思ったのは俺だけか。ジェイミー・フォックスも「キャプテン」のイガラシくんみたいな顔してるんだから、特訓くらいせぇよ。最後の方で「すごい天才なんだぜ」みたいな台詞があったような気もしたが、いい訳臭い。
アメリカの客ならビールとポップコーン片手に血しぶきと会話の丁々発止(ディカプリオほか悪役陣は良かった)を延々と楽しめるのかもしれませんが、KKKのくだりがモンティ・パイソンの日本人には面白さがつかめない会話スケッチみたいに見えた自分には、ダラダラ長いだけの作品で、これなら家でマカロニのDVDを2本見たほうがいいや、というのが正直な感想。奴隷制批判の描写で褒める向きもあるようですが、銃をあれだけ肯定的にぶっ放しておいてそんなこといわれても…です。
いまひとつ満足できない作品が続いていたのに歯止めをかけてくれたのが「アルバート氏の人生」。歴史の空気と人生の重荷を感じさせてくれる出演者の芝居、土地と生活を感じさせてくれる情景描写。これはしみじみ良かったです。
パンフを読むと、もともとはグレン・クロースが新人の頃に演じて名を上げた舞台劇で、映画化は念願の企画だったそう。思い出してみれば、初期の「再会の時」や「ガープの世界」といった作品でもクセのある役どころをしていたので、この芝居での評価がオファーにつながっていたのかなぁ、と思ってみたり。
mamiyaさんの紹介がなかったら、間違いなく「あぁ、ジェンダーものね。関係ねっす。」となっていたところでした。不明を恥じつつ感謝です。
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