2013年2月24日日曜日

エデンの東(三越名画劇場版)

永年の疑問にちょっとチャレンジ。
80年代に続々と作られた、三越劇場(札幌、東京、名古屋、大阪、神戸)の独自柄チラシ。どれだけの種類があるのかもそうですが、どんな作品が上映されたか、いつ頃の公開かもデータが乏しく、ハッキリしません。
星ヶ丘三越(名古屋)はかつて地元に住んでいた際に地域紙の縮刷版でおおよそは把握できたのですが、北浜(大阪)、神戸は縮刷版がないので断念。
札幌もさすがに北海道へ飛ぶわけにも行かず、あきらめていたのですが、関東に転勤したのを機に調べてみたところ、都内に北海道新聞の縮刷版を置いてある図書館があることを知り、今回ようやく確認できました。

三越名画劇場はデパート内ではなく、1980年4月25日に落成した「ホテルアルファ・サッポロ(現ホテル・オークラ札幌)」の地下1階にホテルと同時にオープン。新聞記事によると、数は63と少ないものの、ファーストクラスより幅広い座席はリクライニング付きで、フロア全面にカーペット、と高級志向。景気のいい時代でした。

全部を調べる時間はなく、ひとまずオープンから1999年までの上映リストをまとめてみました(80年代はここ90年代はここ)。公開日がなくていつ頃か分らなかった「エデンの東」は1981年と判明。個人的には桂小金治か島田紳助の人探し番組に出た気分。いやぁ嬉しいです.。
ただ、流通している他の独自柄は86年頃から出ており、「エデンの東」だけ屹立している印象。オープンから85年までの時期にまだまだ知らない柄があるのかな?やはり奥は深そうです。

2013年2月23日土曜日

レ・ミゼラブル/ふがいない僕は空を見た

1月に観た映画をもう少し。備忘録にしても周回遅れとなり、恐縮です。

リンクさせていただいているmamiyaさんくろばくさんがかなり手厳しく批判していた「レ・ミゼラブル」ですが、これは確かに困った出来で、あえて偉そうな言い方をさせてもらうと、映画になっていない。舞台の呼吸で場面転換したり、クローズアップを多用しているからか、物語の世界観は狭まり、すべてがご町内の騒動レベルに。ジャン・バルジャンの「すぐ戻る」はコントとなり、彼を追うベジャール警部は「タイホする!」を連発する「天才バカボン」のおまわりさんに見えてくる。

この映画がそれなりに評判がいいのは、舞台版のファン層に支えられているからかな。出演者の歌唱力はさすが(サマンサ・バークスの「オン・マイ・オウン」とか良かった)だし、衣装やセットも凝ってます。舞台の感動を反芻したり、「今回のキャストは…」といった、リピーター的な見方をするなら、楽しめるのかも。

ということで、これなら舞台を観たくなってしまうのですが、案外それが製作側の作戦だったりして。韓国で大ヒットしているという日経ビジネスの記事(要登録)を読むと、「ライオンキング」的に映画の浸透力を使って海外公演の拡販、本国公演の観光客誘致をあらためて狙っているのではないか…と穿った気持ちになってしまいます。
我ながら素直じゃねぇな、と思いますが、そう思わせてしまう出来な訳でして。

ドライヴ」のキャリー・マリガンを観て、真っ先に頭に浮かんだフレーズが「向こうの田畑智子」。なんか朝ドラのシングル・マザーのイメージと被ってしまいまして。
で、今度は「SHAME-シェイム-」ばりの体当たり演技で、主演女優賞ももらったりしている「ふがいない僕は空を見た」をエロ系の興味半分、作品への期待半分で行ってみたのですが。

うーん、真面目だなぁ…というのが第一印象。コスプレ・プレイ(って重なってますな)とかが話題になっていたので、もっと弾けちゃっているのかと思ったのですが、そういう訳でもなく、いろいろ「抱えた」人たちの群像劇を(多少コミカルな描写もあるものの)基本暖かく見つめる、という感じで。

そういった作り手の姿勢や作品の展開を指弾するつもりはないのですが、個人的にはこういうテーマは「笑い飛ばして」見せて欲しいなぁ、というのが正直なところです。助産院の助手を演じる梶原阿貴のきっぷの良さで何とか救われました。それと校内描写は「桐島」と比べると説得力が弱いかな。団地内のお歴々の闊達さと比べて差を感じてしまうのは役者の力量だけではないのでは。

いっそのこと、準主役だった窪田正孝・小篠恵奈コンビを中心の現状突破コメディにして、イケメン故リア充に見えてしまう永山絢斗は田畑智子(好演)や田中美晴を弄ぶ鬼畜キャラの悪役に、三浦貴大はおねえキャラで怪演させたら…と、こんなことをつい考える俺は「ドリームガールズ」のJ・フォックス扮する音楽プロデューサーみたいな性格だな、ハリウッド映画ばかり見ているからこういうアタマになるのかな、と自問自答しつつ、家路に着いたのでした。

2013年2月17日日曜日

エキプ・ド・シネマの三十年

日本におけるミニシアターの先駆けである「岩波ホール」の総支配人、高野悦子さんが亡くなられました。

岩波ホールは学生時代、映画とは無関係なサークルの後輩がアルバイトをしていて、時々招待券を譲ってもらって観に行っていたのですが、その後輩が可愛かったものでつい声をかけてフラれてしまい、以来すっかり疎遠になってしまったという… オロカ者ですな。

高野さんも一度、ホールでお見かけしたことがあります。受付の人たちにテキパキと指示をする姿が印象的でした。

画像は2004年にエキプ・ド・シネマの三十周年を記念して発行された資料集で、上映時のタイムスケジュールまで掲載されている、神経の行き届いた本でした。今月末には「岩波ホールと〈映画の仲間〉」という回想録が出版される予定だったようです。

追悼の意味も込めて、初期の上映作品をこちらで公開順にまとめてみました。
高野さんと川喜多和子さん、このふたりの女性がいなければ、日本のミニシアターは今ほどの隆盛にはならなかったのではないでしょうか。

心よりご冥福をお祈りいたします。

2013年2月12日火曜日

甘い生活/山猫

1982.6.12リバイバル時のもの
1月は「午前十時」の遠征を2本。ふだんアート系作品は遠慮することがほとんどなのですが、せっかくということで行ってみました。

甘い生活」。フェリーニは若い頃に数本、午前十時で「道」を観ていますが、う~ん、どうもピンと来ないんだよなぁ。退屈とかいうことはないんだけれど、後を引く、もっと他の作品を観たくなるような気持ちにもならないのはどういう訳だろう。

この作品も観ている間、「こういう表現って、当時は斬新だったんだろうな。」と頭では分るシーンがいくつもあるのだけれど、なぜか他人事の気分になってしまい、いまひとつのめり込めない。キリスト教的社会観になじめないから?単なる相性?う~ん、わからん。

それにつけてもアヌーク・エーメは美しいなぁ。以前はスチル写真で「怖そうな、濃ゆい美人」という印象を持っていたのですが、午前十時の「男と女」であっさり覆されてしまいました。この作品も白黒のコントラストで美しさがいっそう際立っておりました。眼福眼福。

ということで、数は少ないですが、彼女の50~60年代の出演作のチラシをこちらにまとめてみましたので、興味のある方はどうぞ。
1981.12.5オリジナル完全版公開時のもの

山猫」。毎度毎度恥を偲んで告白しますが、ヴィスコンティは貴族の没落とか少年愛といったテーマがどうも別次元に思えて、1本も観ておりませんでした。

いやぁ、久々に凄いものを観てしまった、というのが率直な印象。日頃「映画の入場料は高い」と感じることが多いのですが、この作品ばかりは「1,000円は安すぎる」と思いました。月並みな表現ですが、「動く泰西名画」とはまさにこのこと、画面の隅々まで監督の美意識が行き渡っていて隙がなく、圧倒されました(何度か意識が飛んだのは内緒)。それとバート・ランカスターの存在感の素晴しさ。昔「家族の肖像」のチラシを入手した時、「なんでこんな映画にこの人が?」と思いましたが、こんな演技をされたら再オファーが来るよなぁ。

という訳で、食わず嫌いを猛省し、もっとヴィスコンティが観たいなぁ、と思いましたが、こればかりは自宅のしょぼいテレビでは意味がないわけでして。次に出会えるのはいつになるのやら。

「甘い生活」も「山猫」も、初版のチラシは欲しいのですが、比較的割安なアート系作品も、この辺は別格で手が出ません。それにしても「山猫」初版のランカスターの格好、あれは貴族というより農夫だよな、どう見ても。

2013年2月11日月曜日

恋ざんげ/嘆きのテレーズ

勝手にしやがれ」の邦題の経緯に興味を惹かれて、作品を日本に紹介した秦早穂子の自伝的小説「影の部分」を読んだのですが、氏のパリ在住時代の洋画買付業務の秘話がハードボイルドな一人称で綴られていて、ヌーヴェルヴァーグの知識がない自分にも面白かったです。

その中で「日本の公の資料には記録されていない。短篇、中篇は重要視されていない時代であったからだろう。」と紹介されているのが、「恋ざんげ」。「カメラ=万年筆論」のアレクサンドル・アストリュックによるヌーヴェルヴァーグの先駆的作品なのだとか。

このチラシ(プレスのような気もしますが、「秘蔵!洋画チラシ全集」P23に掲載あり)を入手したのは、上述の映画史的な価値とかではなく(というかその辺のことは今回調べてはじめて知りました)、単に「日本語で喋べる外国映画」と書いてあったのと、縦の観音開き(と呼べばいいのかな)という作りに興味を惹かれて。年代ものにしては安かったこともあります。家に帰って中を読んでみると、おっ、アヌーク・エーメが出てるじゃん!ラッキー!と小さくガッツポーズ、ってその程度の人間です、私は。

この作品、当初は「色ざんげ」というタイトルだったようで、文面はすべて「色ざんげ」になっていて、表だけ「恋」という字をシールで貼り付けています。
「嘆きのテレーズ」のチラシ。残念ながら館名はなし。このデザインは
新宿武蔵野館のスタンプが押されたもの(1954.8.3)は見かけたことが
ありますが、丸の内ピカデリー版はあるのでしょうか。

で、「恋ざんげ」はいつ頃公開されたのか。「秘蔵!~」に54年公開とあったので、例によって新聞縮刷版を辿ってみますと、東京では1954年4月20日に丸の内ピカデリーで「嘆きのテレーズ」の併映作品として上映されたようです。中篇だからといって単なる添え物ではなく、当時の新聞にも単独でこの作品の広告を載せており、映画会社としても力が入っていたのではないでしょうか。ピカデリーでは「嘆き」ともども1週間で上映が終了していますが、もともとこの予定だったようで、打ち切りではありません。「嘆き」のキネ旬の紹介記事を読むと、大阪では2月に封切っていたようで、このあたりの上映状況は現代とは大きく異なっていて、把握するのが難しいです。

ちなみに「恋ざんげ」のチラシの裏面には日本語版の紹介があり、「翻案は秦一郎氏、演出は末松正樹氏が担当し、日本語吹込みは篠田英之介氏です。」とあります。秦一郎は「パルムの僧院」や「黒いチューリップ」の翻訳も手がけた仏文学者ですが、苗字でも察しがつくとおり、秦早穂子の父親です。

「影の部分」には映画会社への入社や渡仏を巡っての家族との対立にも触れていますが、こういった仕事が残っているところをみると、それはそれとして父娘の交流もちゃんとあったんだな、と感じます。末松正樹は洋画家ですが、一時期新外映に在籍していて、小説内でも秦早穂子の入社時の面接官として登場。なお、会社は違いますが、「天井桟敷の人々」の邦題はこの人の手によるものだそうです。

2013年2月4日月曜日

勝手にしやがれ(プレス)

封切は1960.3.26ニュー東宝。
センチメンタル・アドベンチャー」のように公開規模の理由でチラシが作られなかった作品もあるけれど、これが60年代以前となると、都内の封切館で公開された有名作品でもチラシがあるのか分らないことが結構あります。単に自分が不勉強なだけかもしれませんが…

ヌーヴェルヴァーグの代表作といわれるゴダールの「勝手にしやがれ」もそのひとつで、このプレスが本命ではないかという話を聞いたことがありますが、どうなのでしょうか(つい先日も大阪の館名印のみが押されたものがヤフオクで出品されていました)。

配給したのは新外映配給という会社で、ここは「太陽がいっぱい」「抵抗」「ぼくの伯父さん」「危険な関係」といった、その後何度もリバイバルされる名作を配給しているのですが、会社の規模が小さかったからなのかチラシが見当たらない、あるいは現存数が極端に少ない作品が結構あるように感じています。「太陽がいっぱい」の日比谷スカラ座版は存在するらしいのですが、ネットや書籍を含めて見かけたことがありませんし、「抵抗」や「ぼくの伯父さん」もチラシはあるのでしょうか。「危険な関係」も本でしか見たことがないし。

青春群像
B5よりやや小さめの三つ折。
悩ましいのがフェリーニの「青春群像」のように、プレスに劇場印を押されているものが流通されていることで、前述の「勝手にしやがれ」もそうですが、この辺がチラシ扱いにしていいか判断に迷うところです。「青春群像」もオークションでは館名印が入っていれば、立ちどころに競合になりますが、印鑑なしでプレスとして出品されていると、乾いた回転寿司のごとくスルーされ続けます。印鑑だけ、というのはどうしても「後世の偽作」の懸念が出てしまいますし、プレスに印鑑があるから「映画館で配られた」とも言い切れないわけで、時代をさかのぼって集めるときは、この辺の疑心暗鬼、葛藤がつきまといますね。

B5二つ折りの見開き部分。
この時点では「ヌヴエル・ヴァーグ」と紹介されています。
余談になりますが、「勝手にしやがれ」という邦題が生まれた経緯ですが、自分は小林信彦が70年代のキネ旬のコラムで紹介した、

●無名の監督ゴダールの処女作「息ぎれ」を買いつけたのは、青山にあった新外映である。「息ぎれ」では仕方がないので、あれこれ、邦題を考えたが、これというのが出ない。宣伝部一同、バテてきて、一人が、
「ええ、勝手にしやがれ!」
「あっ、それでいこう」
(集英社刊「地獄の観光船」より引用。文中の映画の題名部分に傍点。)

だと思っていたのですが、世間ではこの作品を買い付けた、後に映画評論家として活躍する秦早穂子が名付け親になっているそうで、かと思えば、「月光仮面」や「おふくろさん」で有名な川内康範作であるという検証・反論をされている方もおられて、これも説得力があります(この方のブログは他の記事もよく調べられていてとても面白く、おすすめです)。

自分はその昔、スバル座へこの作品と「気狂いピエロ」の二本立てを勇んで観に行ったものの、途中でうとうとしてしまったという、仏語教師の方のハスミンにライフルで躊躇なく撃ち殺されそうな人間なので、作品をあれこれいう資格はありませんが、真相はどうなのでしょうかね。