1991年リバイバル時のチラシ。 初公開時のポスターデザインを再現。 |
自分のような地方暮らしの一般人では益川氏のことを知ろうとしても、なかなか難しく、もしやと思って手に入れた「日本の映画ポスター芸術」(2012年にフィルムセンター等で開催)のカタログにも氏の作品は掲載されていない。どうもATG以降のモダンな作品が中心の展覧会だったようで、「近代美術館」を冠したフィルセンらしいといえますが、ちょっと残念です。
そんな中で目を引いたのが、「火の馬」のポスター。1969年に公開されたウクライナ映画で、描いたのは檜垣紀六。益川氏とは東宝アート・ビューロー(現東宝アド)で師弟関係にあり、1977年まで益川氏が担当していた「キネマ旬報」の装丁を引き継いだのも檜垣氏でした。
カタログには檜垣氏へのインタビューが載っているのですが、これが滅法おもしろい。ATG作品といえば、小笠原正勝や粟津潔といった方の印象が強く、檜垣氏を「ランボー」や「キャノンボール」に代表される一連の東宝東和の宣伝デザインから知ったこともあって、この種のものに関わっていたことを知らなかったのですが、氏にとっては商業作品中心の仕事の中での「箸休め」的な位置づけだったようで、それゆえ自由な発想とデザインで空間をうまく利用でき、「火の馬」のような魅力的な作品群を生み出していったようです。
そうはいっても社員旅行の熱海の夕陽を「ランボー」に活かした檜垣氏のクラフトマンシップはここでも健在。作成当時、場面写真が3枚しかなかった「ベトナムから遠く離れて」(1968公開)では、少女の横に「地面から伸びている手のようなもの」が見えます(チラシだと少しわかりにくいのが残念)が、これは岡本喜八監督が「日本のいちばん長い日」の撮影準備中に、タイトルのイメージにしようとして没になった写真(痛めつけられた民衆の叫びを表現しようと、マネキンの手を土の中に入れた)を使ったそうです。
「市民ケーン」(1966)は新聞社の話なので、キャビネの写真を拡大してドットをわざと目立たせるという手法。これは初版チラシでもそのエッジが効いた感覚が少しだけ窺えます。
二つ折りを見開きで(A4) |
裏話的な話題ばかり抜き出してしまいましたが、檜垣氏のお話は技術的な面や歴史的な面でも貴重なもので、できればもっともっと多くのことをお聞きして、まとめていただきたいもの。
書籍にするのは権利関係とかで難しい点があるのかもしれませんが、映画宣伝に今ひとつ元気を感じないこの頃、喝を入れる意味でも期待したいです。
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