2013年12月27日金曜日

暖簾/みじかくも美しく燃え

追悼の意も込めて、今年のうちに書いておきたいことを。

山崎豊子というと、「白い巨塔」や「華麗なる一族」といった社会派作品の印象が強い方ですが、実家であるデパ地下常連の昆布店を舞台にした「暖簾」がデビュー作。

チラシによれば、1957年に出版し、その年の5月には菊田一夫の脚色・演出で東京芸術座と梅田コマ劇場で劇化上演されたとのことで、舞台と同じ森繁主演で翌年6月に映画公開。次作「花のれん」がその年の上半期の直木賞と、作品が世に出てからはとんとん拍子の感もありますが、「暖簾」の版元は当時創業間もない、今ではSF・推理小説専門の東京創元社な訳で、家柄や環境(毎日新聞社に井上靖の下で勤務)は恵まれていたものの、出版までの壁は少し高かったのかもしれません。
女の勲章(1961.6.28封切)
「処女だっせ!」と中村玉緒
みゆき座は東宝洋画系の前は
大映の直営館でした。

その長編の大半が映画化・テレビドラマ化されている山崎作品ですが、唯一されていないのが「仮装集団」(1967)。

チラシコレクターには加刷でおなじみの”労音”をモデルに、政治との関係を描いた結構きわどいお話。まぁ、映像化はムリでしょうね。これを読むと、労音、音協、民音といった団体の舞台裏が何となく察せられます。

ただし、小説内では(労音を模した)組織の演劇やコンサート事業について取り上げられていますが、映画に関する描写はほとんどなかったように記憶していますので、その辺を期待して読むことはお奨めできません。
1969.1.13 みゆき座
岩谷時子は越路吹雪や加山雄三、郷ひろみに代表される数々の名曲・ヒット曲や東宝の翻訳ミュージカルで名高い方でしたが、映画の仕事で有名なのが、「みじかくも美しく燃え」の邦題の名付け親だということ。社史「東和の半世紀」に岩谷自身がいきさつを綴っておられました。

東宝の文芸部に所属していたこともあって東和とは縁があったそうですが、招かれる試写会は子供を主人公にした作品が多く、「たまには色っぽいものを見せてくださいよ」とか言っていたそう。

そんなある夏の午後。「今度は岩谷さん好みの映画を見せますから直ぐ来て下さい」と早急な電話があり、いそいそと出かけたのがこの作品。試写が終わるや宣伝部の部屋の机の前に連れて行かれ、

「実は、今の映画の題名を考えて欲しいのです」
「ええ? 今ですか?」
「そうです、僕たち急いでいるんです」
                       
 と頼まれます。3,4人に取り囲まれて…

「見たままの感じでいいかしら」
「そうそう、それが一番です。それだから来て貰ったんです」
「それじゃ『みじかくも美しく燃え』というのはどうかしら、他にないわ」と、紙に題名を書いて字づらを眺めているうちに決まってしまったそうな。
69日のロングラン。当時は
「第二の『制服の処女』」といわれたそう。

後日加山雄三と会った際に、加山の母親がこの映画を見て「あんな題名を今度、歌に付けて貰うといい。」と言ったそうで、加山に「誰がつけたのかなあ」といわれ、私ですとも言いかねて困ってしまったとか。

さっとこのようなタイトルをひねり出す岩谷のプロの仕事も素晴らしいですし、題名から息子の作品との相性を感じ取る加山の母親の「女の直感」もなかなかだなぁ…と感じるエピソードです。

あらためて山崎さん、岩谷さん御両人のご冥福をお祈りしたいと思います。
それでは皆さま、よいお年を。

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