2012年4月29日日曜日

アーティスト

金曜の夜、仕事帰りに「アーティスト」へ。
最初のチラシを見たとき、連想したのが「エド・ウッド」。サイレント期に焦点を当てた映画愛に満ちた作品、ってものなんだろうなと。

これは映画が悪いわけではないけれど、不愉快だったのがスクリーンサイズについての注意書きがなかったこと。当時の映画を模してスタンダードサイズで上映しているのだけれど、今時のシネコンだから当然左右が余ってしまう。こちらも事情は分かっているからやむをえないと思うけれど、前もってお断りくらい出してよ。ひょっとすると「ヤマトよ永遠に」のワープディメンション方式が再び…とか期待してしまうではないか。

観た後で調べてみると、監督と主演男優は以前にコメディを一本作っているようです。それでかもしれないけれど、主演男優の表情や動きのキレが全盛期の植木等に見えてならない。世評ではダグラス・フェアバンクスがどうのと書いているようですが、その辺まではこちとら分かりません。で、サイレントからトーキーへの時代の流れの中で植木さんが悪戦苦闘するのですが、台詞がないもんだから最近見つけた植木等botのツィートが頭の中に浮かんでしまい、どうもあまり悩んでいるように見えません。深刻な顔をしていても、その後「まァ何とかなりますよ、ウッシッシ」とか言い出しそうで。

まぁ、これらはこっちの勝手な思い込みだから仕方ないけれど、それはそれとして、映画全体もただのドタバタの域を出ておらず、あえてサイレントや白黒にした意味がほとんど感じられないのが残念です。チラシには「君と出会って、世界は再び色づきはじめる」とありますが、このコピーがそのまま流用できそうな「カラー・オブ・ハート」くらいの視点・表現を音の世界でやってみて欲しかったですね。アカデミー賞を獲らせるからには。

加齢とともに「賞」の権威というものに興味が薄れているのものの、これが作品賞というのは久々にショックでした。どれくらい久々かというと、「森昌子や三善英史をさておいて麻丘めぐみがレコ大新人賞を取った時」に感じた以来?いや「スクリーン」か「ロードショー」の読者選出ベストワンに「キャノンボール」が選ばれた時以来かな。それくらいです。

観終わった晩、頭の中に浮かんだ光景はある映画のシーン。戦いに敗れた奴隷たちにローマ軍の高官が「『アーティスト』は誰だ、どこにいる!」と叫ぶ。立ち上がろうとする自称「天才」コメディアン。それを抑えるかのように次々と立ち上がる子分の芸人たち。「俺がアーティストだ。」「いや、アーティストは俺だ。」と口々に名乗りながら…
今回の受賞はそんな勘違いをあちこちで起こしそうな気がしてなりません。

日本ではあまりヒットしなかったらしいですが、仕方ないですね。だって、「台詞のないモノクロの感動作」ということなら、お金を払ってこの映画を観るよりも、ひと頃ネットで話題になった鉄拳の「振り子」の方が、無料で、3分で、ずっと感動できるのですから。



2 件のコメント:

  1. やはりひとつ躓いてしまうと、もうその映画は普通の状態では観ることができなくなってしまう典型ですね。

    「アーティスト」はやはりスタンダードでしたか、109シネマズ富谷はスタンダード映画はやりませんってキッパリ言ってましたが「アーティスト」上映してますね。完全に額縁上映なんでしょう。観る気もおきません。

    確かにワープディメンションが発生したら面白かったかも。あれもターレットが付いている映写機なら自動でできますが、もし付いていなかったらレンズ交換とかの作業を全部手動でやらないといけないので大変ですね。

    返信削除
  2. 渡辺屋さんコメントありがとうございます。
    スクリーンの問題は「午前十時」で学習済みだったので、事情は分かるんですけどね。
    横型テレビになって久しいのに、ただでさえスタンダードに慣れていない客は戸惑うばかりではないでしょうか。
    信義というより気配りの問題だと思うんですけど。せっかく大きめの小屋だったのに残念です(客は「♪映画って楽しいね~」って唄っている人たちくらいの数でしたが)。

    返信削除